本読み会
僕は縁あっていろんな研究室を渡り歩きました。どの研究室にもそれぞれにさまざまな流儀があります。研究の流儀はもちろんですが、教育に関しても流儀があります。学生のみの勉強会があったり、論文紹介があったり、先生が手厚く指導したり。それぞれに一長一短があり、どれがベストかなんてわかりません。最先端の研究を強力に推進することで評判をとっている研究室では、最新の論文の紹介をやってました。ある研究室では博士課程の学生やポスドクが多くいて、先生の書いたレクチャーノートを学生だけで読んで勉強する会があったりしました。最先端ではあるけど、地味な研究分野では、最新ではない論文の紹介をしていました。より長期的な研究を指向する研究室では、論文ではなくて本(教科書)を輪読していました。みんなで教科書を読むというスタイルが僕の好みです。教科書や論文にかかわらず、文章の読み書きにはある種の技術が必要です。僕の経験では、学生ではその技術が未熟です。だから、本読みの技術を高めることがとても大事だと思っています。多くの研究室ではそれは英語の論文を読むことで鍛えられると考えられています。でも僕はやっぱり母語でやったほうが手っ取り早いと思います。ただ、母語でやる場合、単に読むだけでは、読む技術のポイントがスルーされるので、適切な指導者がつく必要があります。大学の先生方の中には、学生に手間をかけられない人もいますので、そういう研究室では学生のみの英語本読み会が行われる傾向にあるように思います。
英語に関しては、学生のスキルはさらに貧弱です。これは日本の教育システムの欠陥だと思います。だから、学生だけで英語の本読み会をすると、すっちゃかめっちゃかになる場合があります。ポスドク以上の人ががきちんとついていれば、まだましなのですが、そのような余裕のある研究室は稀です。そのような事情ですので、どのような教育関連イベントを保持しているかで、研究室の性格がおおむねわかるように思います。
本の選定
幸い、新しく自分の研究室を立ち上げるという機会に恵まれたので、これを機に思いの教育システムを構築したいと思っています。その手始めに始めたのが、「本読み」です。目的は「学生に本読みスキルの低さを自覚させ、新たなレベルの読解力を目指す」というものです。その目的であれば、日本語が良いでしょう。長々とやってるわけにもいかないので、短めの薄い平易な本。トピックスは何でもよいとしました。学生が選んだのは、「乳酸菌」のハンドブックと「ブラウン運動」に関する数冊の本でした。僕は「研究と直接関係しなくてもよい」という条件を設定していたのですが、さすがに「乳酸菌」はびっくりしました。ただ、その本はハンドブック的なもので複数の専門家が専門家のために書いたものの寄せ集めです。読み始めるには、生化学の基礎知識が必要です。しかも、ハンドブックなので散発的なトピックスの寄せ集めで分野全体がわからないでしょう。ページ数もとても多いものでした。そしてなにより、複数の著者が別々に書いているので過不足があるでしょう。そういうものは教科書としてはあまりよくないのです。なので、慎重に却下しました。僕は生物物理の研究室にいたこともあるので、生化学の基礎知識も少しあります。だから、内容に関しては特定の章だけということにすれば条件を満たします。却下の最大の決め手はページ数でした。特定の章を読むにしても、章が多いので各章のカバーする範囲は狭くなります。必要最小限の章を厳選するにしても、ページが多いのです。
ブラウン運動に関しては、3冊ほどの候補がありました。そのうち一冊はなんと経済学の本でした。ブラウン運動は最終的には確率過程の議論にたどり着きます。確率過程は、物理系では信号理論以外ではお目にかかりません。しかし、現代経済学では基礎理論の一つになっているのです。というのも、現代経済学は「経済」という確率現象を取り扱う数学の一分野になっているからです。もう一冊は図書館に蔵書がなく、すぐには内容確認できませんでした。最後の一冊は物理学OnePointシリーズの小さな薄い本でした。最後のものが僕の条件にピッタリあうので、3か月を目標に週1回で本読み会を始めました。
本の読み方
日本語の本を輪読する場合、「何をすべきか」というのがあいまいになります。英語の本なら、翻訳をすれば80%くらい完了ですが、日本語ではその作業が必要ありません。何をすべきかというのが学生にはわからなかったようです。僕は「要約を作る」ことを指示しました。「要約」というのは、中学校ぐらいの国語で学ぶはずですが、きちんとした指導はなかったように思います。単に、文章を短くすること、くらいの意味に思う人が大半だと思います。でも本当は違うのです。僕は言語能力が低いので、こういうことを感覚的に理解することができません。とっても苦労して、「要約」という概念の理解に至ったのですが、結論としては簡単です。「要約とは段落1個を1文にしてゆくこと」です。もちろん、原則なので厳密でありません。でも、これを意識すると機械的に要約を作成することができます。逆に一文を段落に膨らますという作業が長文を作成するコツになります。すなわち、文章の骨格を箇条書きで編集し、各項目を段落に膨らますと、首尾一貫した長文になります。これは論文作成時のテクニックの一つです。意識する・しないにかかわらず、実践している人は多いはずです。それを逆に行うのが「要約」です。
僕たちの行った本読みでは、担当者が各段落を要約し、その要約で不明な部分に対して参加者たちがツッコミをいれます。答えるのは基本的に担当者です。ただ、理解が浅いことが多々あります。なので、僕がツッコミを入れたり、補足したりします。
ツッコミポイントの設定には一定の決まりがあります。難しい点とかややこしい点というのはわかりやすいツッコミポイントですが、それ以外に、文章があいまいなところが重要なツッコミポイントです。僕たちは、教科書というのは間違いがないという前提で勉強をしがちなので、教科書の記述に疑問を感じないように訓練されています。そのため、あいまいな記述があっても、それを鵜呑みにしてしまう傾向があります。研究者として経験を積むと、玉石混交の論文の世界を肌で感じたり、自分自身が教科書を書いたりする機会が増え、文献と言えども不正確な記述がまかり通っているという現状を思い知ります。そのため、教科書を頭ごなしに信じないようになっているものです。でも、学生たちはそうじゃないので、そのための訓練をするわけです。スタンダードな教科書であっても、論争が存在するトピックスや、完全な証明に至っていない「仮説」が含まれています。そういった部分の記述は往々にして「あいまい」になっているものです。著者の「迷い」や「不理解」がにじみ出てしまうからです。そういう部分を抜け目なく見つけるには相当な訓練が必要ですから、それを例示するのは指導者の務めだと思うのです。
僕たちの本読みは3か月の予定でしたが、結局4か月かかりました。ま、割と順調だと思います。
著者と編集者の問題
比較的あっさりしていて、読みやすい感じの本でした。ただ、いくつかの不満があります。それは肝心の議論において、記述不足や論理的整合性の不備が散見されることです。その一つは「プランクの空洞放射エネルギーの量子化」に関する記述です。原子論が受け入れられるかどうかの時代のアボガドロ数の発見に絡む逸話として取り上げられているのですが、僕にはつながりが理解できません。もっと言えば、おそらく著者は空洞放射というものが何なのか知らないのではないかという疑いがあります。そもそも空洞放射という現象に科学者が注目したのは、ガラスや陶芸の窯の温度を職人たちが窯の内部の「色」で正確に推定しているという事実があったからです。熟練すると1000℃以上の窯の温度を10℃くらいの誤差で言い当てることができるそうです。ここから色と温度の関係の存在が推定されます。当時の科学者はこれを研究したのです。
そのうち、高温状態だけでなく、低温においても放射が認められ、「黒体輻射」と名付けられました。高温での放射と低温での黒体輻射はちょっと違うスペクトルを持つのですが、プランクの「思いつき」によって統合されるわけです。そこにボルツマンの悲劇がからんでくるのはとても有名な逸話です。
プランクの提案したスペクトルのカーブにおいて、アボガドロ数は強度に関する比例定数として含まれます。プランクたちの議論はスペクトルの形状に関するものであり、強度の絶対値はプランクの議論からは決定できません。だから、空洞放射の議論をアボガドロ数の存在例として挙げるのは不適切だとおもうのです。この本ではかなりのページ数を割いていて、空洞放射の議論がアボガドロ数が認められるための重要イベントだと、著者が考えていることがわかります。
ほかには、「エネルギー等分配則」が挙げられます。この言葉は本のいたるところで出てくるのですが、それがいったい何者で、ブラウン運動の議論とどのようにつながるかが、一切触れられていません。エネルギー等分配則は成立することが自明ではありません。エネルギー等分配則が成り立つにはその背景に頻繁なエネルギー交換現象が存在する必要があります。それはブラウン運動であることが多いのです。つまり、エネルギー交換則を認めてブラウン運動を論じるのではなく、ブラウン運動によってエネルギー交換則が説明される、という文脈でなければなりません。その部分の議論がすっぽり抜けています。
ちょっとあきれるのは、微分方程式の解法が論理的な整合性を欠くことです。比較的一般向けの本なので、微分方程式は極力避けて必要最小限のとどめています。だからこそ、その部分は丁寧に記述するべきだと思うのです。ところが、その記述はどこか別の教科書からのコピペっぽくて、説明の文章と式の展開が整合していないのです。特に、非同次の場合に不整合がみられます。おそらく、著者は非同次の微分方程式を自力で解くことができないのだと思われます。有名な理論物理学者なのにね。
ま、専門家には往々にしてあることです。微分方程式なんかは「みんなできる」ことになっている科目ですが、本当のところは違います。ほとんどの人は「裸の王様」状態なのです。専門的な研究では基本の微分方程式を改変して調べるので、多くの場合非線形です。解けるタイプではないため、解析的に微分方程式を解くことはめったにありません。解ける場合は珍しいので、誰かが論文にします。なので、自力で微分方程式の解析解を出せなくても、研究には一切差し支えありません。その状態で「自分は裸の王様でした」とカミングアウトすることはとてもできません。でも、教科書、とくに初歩的な教科書を書くと、バレるのです。微分方程式を自在に解ける人は、実はほとんどいないので、できなくても本当は恥ずかしいわけではないのですけどね。とにかく、微分方程式に絡む部分ではことごとく「しったかぶり」な記述になっています。わからなければ、わからないと吐露するか、あるいは参考文献を挙げるにとどめるというのが科学者としてのマナーです。知ったかぶりは最低です。
あるいは、ページ数の制限によって説明を省略しているとも考えられます。これは編集者の判断が大きく影響します。編集者の判断によって内容の割愛がある場合には、割愛された内容が存在することを示し、補足するための方法(アドバイス)を記述するべきです。そういうのはどうも見当たらないのです。底の部分は著者の責任です。
でも読んでよかった
いくつか不満はありましたが、総じて興味深い本でした。僕はブラウン運動を真面目に勉強したことがなかったので、いろいろ発見がありました。最も感心したのは、ブラウン運動に関するアインシュタインの議論の出発点が、浸透圧だったことです。実のところ、アインシュタインは世間で言われているほど天才ではないんじゃないかと思っていました。でも、この議論はアインシュタインの天才を感じるものでした。浸透圧は高校で学ぶような基礎的でよく知られた現象です。浸透圧の法則は気体状態方程式に似ている単純なもので、しばしば計算問題に登場します。それでわかった気になるものです。僕ですら、浸透圧というものがいったい何者なのかというのは特に注意してきませんでした。でも、よく考えると、なぜ束一量(モル数に比例)なのか、なぜ粒子や溶質の種類に依存しないのか、ということはきちんと説明されません。浸透圧には、そういうちょっと正体不明な部分があるのです。
アインシュタインは溶質粒子1個の浸透圧を考えることで、それがどのような影響を及ぼすかを考察しました。その結論として、浸透圧の元になる粒子の熱的運動が、条件が整いさえすれば直接観察可能であることを示しました。それはすなわち、ブラウン運動だったのです。
実のところ、この時、粒子が持つ平均の運動エネルギーが$kT/2$であり、熱エネルギーなのです。粒子は他の粒子(溶媒も含む)と衝突するので、時々刻々のエネルギーは変化します。それでも、溶媒・溶質関係なく、一体として運動する物体の重心位置の運動を考えるとすべての粒子の運動エネルギーの平均値は1自由度当たり$kT/2$になっています。これが成立するためには、エネルギーの交換が頻繁である必要があります。これこそが、エネルギー等分配則の正体であり、僕たちが「温度」と呼ぶ状態量なのです。
もう少し厳密に言うと、溶質粒子1個にも浸透圧が生じるはずなので、その浸透圧が溶質粒子を「押して」、溶質粒子は速度を持ちます。その速度は周りの溶媒との摩擦(粘度)で急速に減衰します。系は疑似的に閉じているので、減衰した速度のエネルギーは溶質粒子の浸透圧に戻ります。こうして、無限に繰り返されるので、粒子の速度に関しては不定です。でも粒子の速度分布(速度の標準偏差=二乗平均)については有限の値を持ちます。速度の二乗平均に質量をかけて2で割ったものが運動エネルギーなので、粒子は有限の運動エネルギーを持つことがわかります。これはブラウン運動です。こうして、ブラウン運動と浸透圧が同じ現象であることが結論されます。その時、エネルギー等分配則も「ついで」に理解されるのです。
この議論を知って、僕は脱帽しました。アインシュタインは天才です。僕もこのような考察をするチャンスは十分あったと思います。でも、僕はできなかった。気づかなかった。そこには圧倒的な差があるのです。
逆に、アインシュタインはなぜこんなことを考えたのでしょう?一つは、浸透圧という正体不明な現象を徹底的に理解しようと努めたことが挙げられます。アインシュタインは当初ブラウン運動のことを知らずに論文を発表しました。だから、アインシュタインがブラウン運動の研究をしようとしていたわけではないことがわかります。アインシュタインは浸透圧を理解したいと思っていたはずなのです。その中で、浸透圧が溶質粒子の運動から生じるものだと気づいたのだと思います。ではその運動を見てみたいと思うのは人情です。理論物理学者としては、その運動が観察できるとしたらどのような条件かを計算すべきで、アインシュタインはそれを実行したわけです。
そもそも、浸透圧に対して僕たちが抱くイメージは連続的なものです。溶質粒子1個の浸透圧なんて想像したことがありません。でもアインシュタインはそれを行いました。当時の時代背景として原子仮説の議論があったことは重要かもしれません。すべての原子、分子は最終的には1個2個と数えることができるものだ、というのは、今でこそ当たり前です。でも当時はそれが確定していませんでした。すべての現象を原子論によって書き直してみようという機運があったと思われます。その一つとして、アインシュタインは浸透圧の問題に原子論を適用してみようと思いついたんじゃないかな。
学生さんとの読み合わせなんてことをしない限り、僕がこんな薄っぺらなブラウン運動の本を読むことはなかったでしょう。ブラウン運動の勉強をせずに一生を終えていた可能性すら大いにあります。そうしたら、アインシュタインの素晴らしい発想力に触れることもなかったでしょう。
僕は自分のことを、勉強や研究に関して抜け目がない、と評価していました。でも、今回大いに反省しました。もっと注意深く世界を見ないといけないと思いました。