2026年11月6日金曜日

S7の物理学は特殊相対論と量子力学を削り出す説;ポエム解説③

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。」(新約聖書「マタイ福音書7章13節」)



こんな話をします

スタート:宇宙を記述する代数の候補であるS7

ゴール:ミンコフスキー計量0の条件がS7代数の部分空間として量子力学を与える

ポイント①:S7の非結合性は要素還元主義を破壊し、科学が成立しなくなる

ポイント②:アルティンの定理により結合性を取り戻す

ポイント③:アルティンの定理の条件を変形すると、ミンコフスキー計量0の条件で、非可換代数が得られる。

ポイント④:非可換代数では余積代数=量子代数が成立する。


実のところ物理学ポエムの内容はほとんどが従来の物理学と数学理論の範囲に収まっています。どちらかというと解釈を変更しています。でも、単なる解釈の変更だけで全てが説明できるなら、人類はすでに宇宙の真理に到達していて、研究することは残ってない状態になっていないとおかしいと思います。そうなっていないのは雑多に存在する様々な知識がきちっと繋がるように並んでいないからだと僕は思っています。僕が考える正しいつながりと並びの候補をこれから解説したいと思います。お断り:数学的に詰めが甘い話題が一部に含まれます。


S7代数と物理

ポエム解説②基礎公理で解説したように、フルヴィッツの定理と素粒子の対称性から、宇宙を記述するための代数として、唯一の候補がS7だ、という結論に至っています。S7はノルムが1の8元数です。8次元の超球面上の点がS7、というのが幾何学的なイメージです。8次元なんて想像を超えている、という文句はあるかもしれません。なので、普通に3次元の球面のイメージで代用してもらって大丈夫です。

S7上の演算はS7になることが保障されています。この状態は、代数的に閉じている、というように表現されることもあります。これは宇宙が概念的に首尾一貫していることを保証します。演算のたびに宇宙から飛び出して、引き戻されるみたいな不格好なことは最初からありません。聞いてます?ローレンツ変換さん!

S7は超球面上の点なので、球対称性があります。出ましたね。対称性。僕たちが知っている物理法則の多くはエネルギーや運動量が保存するという原理に基づいて議論されます。ドイツ出身の女性数学者エミー・ネーターは、対称性と保存則が1対1で対応するということを証明しました。このネーターの定理は、物理学のあり方を根本的に改革しました。対称性があれば物理学を構築できる可能性が出てくるのです。

S7代数は素粒子の対称性を内包しており、素粒子の振る舞いをきちんと説明できる可能性はあります。特にS7に埋め込まれているFANO平面には位数3の巡回対称性があります。素粒子の世代とか、色価と呼ばれる 素粒子の内部量子数はいずれも3という特別な数の性質を持っています。3というキーワードは普通の代数構造からは直接現れてこないという厄介な数で、多くの理論物理学者の頭を悩ました問題です。その3の謎がS7代数から自然に導出されそうで、とても希望が持てます。


相互作用=2項演算

僕らが、宇宙を理解する、と言ったとき、当然物理の法則の集合体として宇宙を記述する、という意味を頭の中に浮かべています。物理の法則は、基本的に「保存則」あるいはそこからの導出で構成されます。根底には「保存則」があるわけです。ネーターの定理によれば、対称性と保存則は1対1対応があるとされるので、対称性が欲しいところです。S7ではノルム1という対称性があり、物理が成立する下地を備えています。

しかしながら、ノルム1の対称性だけでは、なかなか物理が立ち上がってきません。そこで、物理とは何かということを少し掘り下げることにしましょう。僕らの知る物理というのは保存則が基本になっています。保存則というのは、系が変化したとき何かが保存する、という意味があります。系の状態は「数」に対応するわけですから、「数」が変化したとき何かが保存していることを保存則と言う訳です。「数」は勝手には変化しませんから、何らかの都合で変化する必要があります。代数的には「演算」しかありません。

通常、「演算」には「2項演算」と「単項演算」があります。単項演算は定数を乗じるみたいな演算ですが、それでは物理を説明することはできません。物理は主に2項演算で記述されることになります。2項演算というのは2の状態間の演算です。あるいは、2つの項の間の相互作用とも言えます。S7が宇宙を記述する代数の候補であるなら、S7上の2項演算について理解する、ということがセントラルドグマになります。

総括すると、物理は、2項演算の連続で表される、という風に考えることができます。つまり、状態をA,B,Cで表せば、ABCのような演算の連続が物理となるわけです。


S7代数の致命的欠点

S7には致命的な欠点があります。S7の代数は非結合的なのです。非結合性とは、(AB)CとA(BC)が同じとは限らないという演算規則です。ご存知のように僕らが知っている普通の演算はこのようにはなりません。(AB)CとA(BC)は必ず同じ値になります。その性質を結合性と呼びます。演算規則としての非結合性はそれほど大きな問題とはみなされないかもしれません。でも、僕らが議論しているS7の代数は宇宙を記述する物理の基本になります。非結合性を物理学あるいは科学の観点から眺めると、致命的な問題を引き起こします。

科学の概念の基礎には、客観性とか再現性とか検証可能性とかそういうものが成立するという前提があります。研究する際には、現象の要素を切り出して、各要素を検証して、再び組み立てて全体像を理解する、という要素還元主義が用いられます。これは客観性や再現性が担保されている時には強力な手法となります。もし宇宙が非結合性代数で記述されていると、部分を切り出して検証して、検証された部分を再び組み立てて全体像を理解するという手法ができなくなります。先ほどの例だと、ABCの演算について、ABとBCの各要素からできていると考えて、各要素の仕組みが解明されたとしても、(AB)CとA(BC)の違いによって、全体を構成することができません。


僕らの目的の1つは科学の成立条件を探すこと

S7の非結合性では科学がまともに成立しません。僕たちの唯一の希望がS7で、そのS7は科学の概念を破壊してしまうのです。一見手詰まりに見えますが、諦めてしまえば、そこで試合終了です。S7は僕らに残された最後の希望なのです。

行列は積の順番を入れ替えることができないという非可換という性質を持っています。でも特別な条件を満たすと、積の順序を入れ替え可能な、可換の性質を取り戻すことができます。例えば、複素数は行列を用いて書き直すことができますが、積の順序を入れ替えることができます。同じように非結合なS7でも、特別な条件下では結合性を取り戻すことができるかもしれません。このような性質を、部分空間あるいは部分代数と呼びます。

(注)ここから一般的な物理学とは大きく違ってきます。

S7において、どういう時に結合性が取り戻せるかということを研究した人がいました。名前をエミール・アルティンさんと言います。その定理はアルティンさんの名前を取ってアルティンの定理と呼ばれています。

アルティンの定理では${1-e_7^2=2}$の条件を満たすと、残りの部分空間には結合性が復活する、とされています。${e_7}$は虚数単位なので、${e_7^2=-1}$です。${e_7}$の7には特に意味はありません。ですので、アルティンの定理の条件は、8元数の7つの虚数軸のうち一つを選択する、という意味になります。2項演算では、2項の虚数軸の1つが共通の場合に、結合性が復活する、という意味になります。

ちなみに、ミンコフスキー計量は以下の通りです。

$${d\tau^2=c^2 dt^2 -dx^2-dy^2-dz^2}$$

ただし、${d\tau}$は固有時間で、ミンコフスキー計量における距離になります。ということなので、${d\tau =0 }$がミンコフスキー計量0の条件ということになります。ここで、${(dx/dt, dy/dt, dz/dt)}$を${e_7}$の方向と定義すれば、アルティンの定理の条件がミンコフスキー計量0と一致することになります。言い換えると、ミンコフスキー計量0のときに、S7では結合性が復活する、ということです。ただし、非結合性が解消したとしても、依然として非可換で、厄介なことには変わりありません。


ポエム解説①特殊相対論との符牒

ポエム解説のシリーズの1番目、特殊相対論の話の結論として、ミンコフスキー計量0で時空の2点がつながることで、「同時」の概念でつながることができる。空間的に2点がどれだけ離れていても、ミンコフスキー計量が0なら、時空的な距離は0であり、2点は同時かつ瞬時に相互作用でき、量子力学が成立する、と指摘しました。

量子力学の説明にはいくつか流儀があります。一つはシュレーディンガー方程式で、これはもっとも有名です。ちょっと面倒なのですがハイゼンベルグの行列力学、という流儀も有名です。もう一つの流儀が、生成子・消滅子をベースにした余積代数の流儀です。余積代数というのは別名を量子力学と呼びます。非可換代数において、非可換の度合いを表す余積${[A,B]=AB-BA}$が定義され、これが量子力学を説明します。余積代数は量子代数とも呼ばれます。

つまり、非可換な代数は量子力学を生み出すのです。アルティンの定理によってミンコフスキー計量0の条件下で取り戻された結合性の部分空間は依然として非可換であり、そこでの代数は余積代数の形式をとります。つまり、量子力学が成立するのです。

「おお!これこそ奇跡!特殊相対論は${S^7}$に物理を取り戻し、量子力学を残すのだ。」


アルティン切断の説明が弱いらしい

AIに一連の記事の評価をさせると、アルティンの定理の条件とミンコフスキー計量0との同値性に関して数学的根拠が乏しいと言われました。あと、可除代数の公理が独善的?と言われました。

可除代数を公理に据えるのは一般的ではありません。宇宙を記述する代数が可除代数でない場合、勝手に物質やエネルギーが消えてしまう可能性がある以外に、勝手に物質やエネルギーが生じてしまうということが起こります。現在の主流物理学では、真空のゆらぎがそのような現象として、議論されてますけどね。真空のエネルギーとかも、似た概念かもしれません。標準模型は無理やり次元拡張してるので、代数的な無理があって、そういう概念が必要になってしまうのかもしれません。ま、でも、普通の現象に対しては、可除代数というのは妥当に思います。

僕たちの目的は、アルティンの定理の条件とミンコフスキー計量0を直接つなぐことではありません。ミンコフスキー計量0がS7に結合性を取り戻す、ということが示せれば、十分です。というか、そこにこそ意味があります。そういう条件が存在していることはアルティンの定理が証明しています。ミンコフスキー計量0の条件下で、S7の代数が結合性の演算として示せれば、僕たちの目的は完全に果たせることになります。

S7の点AとBを考え、以下のように定義します。

$${A=\alpha + a, B=\beta + b}$$

ただし、${\alpha}$と${\beta}$は、4元数的な成分で、結合性があります。例えば、

$${\alpha = a_ 1 e_1 + a_2 e_2 +a_3 e_3}$$

になります。
一方、${a}$と${b}$はそのほかの成分をまとめたものです。この部分がなければ、結合性が戻ってくるわけですが、そんなわけにはいきません。ここで余積代数が成立するとは${[A,B]=AB−BA}$でこれが結合性演算成分の要素で書ければよいということです。

AとBの間の演算は、次のようになります。

$${A B= (\alpha +a) (\beta +b)= \alpha \beta + a \beta +\alpha b +a b}$$

${\alpha}$と${\beta}$は元々結合性です。なので、${\alpha \beta}$は結合的です。また、${a}$や${b}$の基底は、${\alpha}$と${\beta}$の基底に、追加の虚数単位を乗じたものになっています(ケーリー・ディクソン構成)。そのため、${a}$や${b}$だけでの演算は結合的です。これは、8元数の積表の左上の${4\times 4}$の領域と、右下の${4\times 4}$の領域が相似形になっていること対応します。なので、残るは交差項${(\alpha b - b\alpha) + (a\alpha - \alpha a) }$の結合性を調べることになります。

いま、${\alpha-\beta=0}$となるように、${A}$と${B}$が座標変換されているとします。これが、実質的にアルティンの定理の条件に対応します。その時、交差項は次のように変形されます。

$${(\alpha b - b \alpha) + (a\alpha - \alpha a) = (\alpha b - b\alpha) + (a\alpha - \alpha a) }$$

この式中で、${(\alpha b - b\alpha)}$ の項は、共通の時空基盤 ${\alpha}$ と、外部のゆらぎ ${b}$ が作る「右回り・左回りのズレ(ねじれ)」を表しています。

${a}$と${b}$の基底は8元数の対称性から、4元数の基底に${\alpha}$の虚数単位の1つを乗じたものです。具体的には、$\alpha b$ と $b \alpha$ は単なる可換な積ではなく、一方が他方の共役や符号反転を伴う関係、すなわち $\alpha b = -b \bar{\alpha}$を持っています。これを適用すると、

$${(\alpha b - b\alpha)+ (a\alpha - \alpha a) = b(\alpha +\bar{\alpha})+(\alpha +\bar{\alpha}) a}$$

になります。もともとの${\alpha}$は純虚数の4元数ですが、座標変換によって、普通の4元数です。そのため、${(\alpha +\bar{\alpha})}$は実数成分になります。これを${k_a}$とすれば、

$${(\alpha b - b\alpha) + (a\alpha - \alpha a) =k_a (a+b)}$$

になります。これは可換な演算で構成されており、明らかに非結合的ではありません。よって、${\alpha-\beta=0}$の条件下で${[A,B]}$は結合的な演算要素に還元されることが示されました。${\alpha-\beta=0}$の場合、明らかに、${||\alpha-\beta||=0}$です。つまり、${\alpha-\beta=0}$となる「線上」では、${[A,B]}$は結合的で、余積代数が成立する、となります。このとき、明らかに${||\alpha-\beta||=0}$で、これをミンコフスキー計量0の条件を時空速度空間で見たときの数式とみなすことができます。すなわち、ミンコフスキー計量0で、余積代数=量子代数が成立し、量子力学が成立する下地が得られます。

Q.E.D

2026年10月27日火曜日

宇宙を記述可能な代数は1つしかない説;ポエム解説②

 


​「この世界について永久に理解しがたいこと(永遠の謎)は、それが理解可能だということである。」(アインシュタイン「物理学と実在」)


ポエムの冒頭部分を解説するよ!

物理学ポエムの冒頭では宇宙を数学的に記述できる条件を議論しています。ちょっと哲学的かつ詩的なセクションなんで、一番ポエミーで、まともな議論に見えにくいかもしれません。なので、解説が必要だと思うのです。


宇宙が理解可能な条件を探すことの意味

大統一理論は、人類の悲願の一つと言えます。多くの試みが現在も続いています。ただ、大統一理論が存在するかどうかすら、わかりません。大統一理論を探す試みはすべて失敗するかもしれません。でも人はめげずに努力を続けるでしょう。でも、ゴールの存在が不明な状況で努力するのと、ゴールの存在が確定している場合と、モチベーションはずいぶん違うと思うのです。だから、ゴール=大統一理論、が存在する条件を、宇宙が満たしているかどうかを調べることは、意味があると思うのです。

大統一理論がどんなものかはわからないのですが、そもそも宇宙が理解可能な存在でないなら、大統一理論は決して存在できません。だから、大統一理論が存在する前提条件として、宇宙が理解可能な存在であるための条件を調べようと思うわけです。宇宙が理解可能な存在であっても、大統一理論が見つからないかもしれません。でも宇宙が理解可能な存在でなければ、大統一理論を探すのはあきらめた方が良い、と早々に見切りをつけることができます。

宇宙が理解可能な存在かどうかを検討することには、別の意味もあります。ポエムの中では、時間も空間も導出対象になっています。その場合、時間や空間にまつわる概念を使って、宇宙を説明することができません。トートロジー(循環論法)は避けねばならないのです。

ネーターの定理により、時間並進対称性とエネルギー保存則が対応していることが知られています。時間の概念を使用禁止にするということは、エネルギー保存を使った議論が出来なくなります。

僕たちは「因果関係」を当たり前のように考えていますが、原因と結果の区別は時間的な順序によるものなのです。時間の概念が使えないと、因果関係を使った説明ができなくなります。

要するに、物理学がものすごい縛りプレイになるわけです。因果関係は、「客観性」の一部になっていますから、客観性も著しく制限を受けます。そうすると、科学と言う概念が成立するかどうかギリギリのところを議論しないといけなくなるわけです。

このレベルの極端な縛りプレイでは、人類に残されたツールは数学のみになります。だから、宇宙は、少なくとも数学に対応させることができないと、理解可能ではないよね?となるわけです。

実際の理論構築はこのような順序で行われたのですが、説明にあたっては別の方法を使っています。すなわち、公理系によるボトムアップです。 このやり方は抽象数学では一般的で、まあ、そういうフォーマットに従った方が、高度な理論っぽく見えます。見えてるよね?


状態=数、という概念

ここからは公理を1つ1つ見ていこうと思います。

まず1番目。宇宙の状態は数に対応させることができる=記述可能性、という部分は、ほとんどの人が面食らうと思います。ふつうの人にとっては、数というのは1,2,3,4のような数値です。実数だったり、有理数だったりするかもしれせんが、実数が有理数になったところで大差ありません。こうした数が宇宙の状態に対応する、というわけではありません。ポエムで語られる「数」は、一般化された「数の概念」という意味になっています。

理系の皆さんは、ベクトルとか行列とかを学んでいると思います。ベクトルというのは数値が組みになったものです。例えば、座標なんかはベクトルに対応させることができます。数学ではベクトルはある種の「数」とみなされてます。あるいは、色とか形とかそういう概念も数学では「数」に分類される概念です。そういう一般化された「数」の概念を使えば、宇宙の様々な状態も「数」に対応させることができるでしょ?という仮定(公理)を1番目に据えています。この公理は、明示しなくてもよいくらい、当たり前、なものかもしれません。でももし、宇宙の状態が何らかの「数」で表せないなら、状態を特定することができず、あらゆる法則に意味がなくなります。そういうことを防ぐために最初の公理が存在します。


代数≒再現性・決定論

2番目の公理は、宇宙の状態を表す「数」には代数があるっていう要請=予測可能性です。これは一旦捨ててしまってる客観性や因果関係の代わりに導入されていると思えば良いかもしれなません。客観性や因果関係や時間の概念を排除してしまうとほとんど何も残りません。残るのは代数と幾何学くらい。幾何学をベースに考えてもう大丈夫なんだけど、幾何学も最終的には代数で語った方が厳密になるので、そういうことなら最初から代数をベースで考えようとしています。まあ、将棋で言うなら手抜きってやつ?取って取られて合駒を入れるのであれば、最初から合駒を入れといてもいいよね。みたいな感じ?

ここでいう代数は四則演算のことではありません。「数」は通常の数値ではないかもしれません。と言うか、通常の数値ではないと考えた方が合理的です。数値ではないのに、掛け算とか足し算とかそういうのはできるとは限りません。まあ、こういう論理構成は抽象数学では一般的なので、そういうフォーマットを採用しているだけです。一般の人にとっては、状態の変化がきちんと定まっている、ということの要請と考えてください。 客観性を一旦保留してるのでその代わりに導入しているという解釈もできます。

代数には演算が通常は1つ以上、定義されています。通常は乗法、つまり掛け算を想定するのが基本になります。実際の演算は掛け算と限りません。へんてこな演算かもしれないし、普通の掛け算かもしれません。あるいは掛け算という名の足し算かもしれません。数式で書く時には掛け算と同じ書き方をするというだけです。こういう考え方はスタンダードな群論です。演算は基本的に1種類です。僕らが慣れ親しんでいるような、足し算と掛け算が両方使えるような代数は贅沢品で特別なのです。よちよち歩きの宇宙にはそんな贅沢は許されないのです。

書き方はちょっと回りくどいですが、演算というのは同じ入力に対して同じ出力が得られることが前提になっているので、演算結果の予測ができるようになります。その予測可能性が客観性や再現性の代わりになり、形なりにもかろうじて科学が成立するようになります。


実際問題、宇宙はそんなに不安定には見えない

3番目の公理は、宇宙を記述する代数は可除代数であるというものです。これは宇宙が勝手に消えたりしないという要請です。実際のところ、物質は安定して存在してて、エネルギーとかが勝手に消えたりしません。質量保存則とかエネルギー保存則とか使えたらいいんですけど、そういうのも前提としないところからスタートしてるので、使えません。その代わりというわけです。

可除代数というのは、0が演算に関わらない限り、演算結果が0にならないという性質のことを言います。そのおかげで割り算が必ず存在するとか、そういう特別な性質も出てきますけど、ここでは演算結果が0になって、宇宙が消滅するのを防ぎたいという意味で用いています。なので、この公理は、宇宙の永続性という別名をつけています。実はこの可除性というのがかなりキツい制約になります。


真打登場!フルヴィッツさん、どうぞ!

数学者というのは、何に関しても徹底的に調べ上げる能力に長けています。可除性を持つ代数というのは、驚くほど少なくて、おなじみの実数、複素数の他に、4元数と8元数しかない!ってことをフルヴィッツという人が証明しています。

要するに宇宙が理解可能な存在だとすると、候補は4つのモデルしかないということになります。この辺りから、他の物理理論とは全く違う様相を呈します。

宇宙を記述するのに、実数や複素数は明らかに複雑さが足りません。だから候補は実質的に2つに絞られます。残った2つは一般の人たちにはあんまり馴染みがないかもしれません。

4元数は1つの実数軸と3つの虚数軸を持つ4次元の数です。物理の世界では結構みんな大好きなんですが、うまく使いこなせていません。例えば、特殊相対論で用いるミンコフスキー空間は、4元数とほぼ同じです。4元数には右手系と左手系の区別が最初から組み込まれてるので、単純なミンコフスキー空間より現実の世界に近いかもしれません。実際、スピンと言った概念を説明するのに4元数が用いられます。

そんな4元数なんですが、物理学において全面採用には至っておりません。僕にはよくわからないんですけど、4次元を4元数に置き換えようとすると、微妙に色々書き変わってしまうので、理論の構築難易度が上がっちゃうんだと思います。

そして最後の8元数なんですが、1つの実数軸と7つの虚数軸を持つ数になります。4元数からの自然な拡張で得られるので、とっつきは悪くないんですけど、掛け算のシステムが非常に複雑になってしまい、そのままでは暗算とか絶対できません。そのため8元数を積極的に使って物理学を書き直そうという試みはほとんどありません。


素粒子を例外にしてはいけない

僕らの宇宙には素粒子という奇妙な性質を持つ存在があります。 素粒子は普段は目立たないのですが、普段目にする物質の基礎を構成する存在です。素粒子の性質を説明するにはSU(3)✕SU(2)✕U(1)という複雑な対称性が必要だと言われています。この記号は群論で用いられる対称性の記号で、一応ちゃんとした意味はあるのですが、単なる記号と考えて問題がありません。それでも少しは説明しておいた方がいいと思います。U(1)は複素数的な性質を指します。電荷なんかを議論するのに必要な対称性です。SU(2)は4元数的な性質に対応します。 スピンとか電場磁場なんかを議論するのに必要になります。そしてSU(3)は素粒子が持つ奇妙な性質、ゲージ対称性を議論するのに必要になります。厄介なことにSU(3)は僕らが普段使っている数値ではうまく記述できません。素粒子が持つ奇妙な性質がSU(3)という対称性にきっちり収まり、特定の条件下で計算が可能になるということを示したのがヤンミルズ理論で、ヤンとミルズはノーベル賞をスピード受賞しました。8元数はSU(3)の対称性を持ちます。

SU(3)はSU(2)とU(1)を内包します。そのため、宇宙を記述するには最低でもSU(3)が表現できる代数が必要と結論されます。これが4つ目の公理です。使用される代数が宇宙を記述できるキャパシティーを持たねば、どうあがいても宇宙の真理に到達できないので、諦めた方がいいよという要請です。

公理1〜3で、実質的に4元数と8元数が候補に残り、公理4で8元数以上に複雑さが選ばれます。ということで、公理1〜4で、宇宙が理解可能な存在であるならば、宇宙は8元数の代数で記述されるだろうという予想が成り立つわけです。


S7が最有力候補

8元数だけでは、あまりに平坦で宇宙を記述できるかもしれないけど、宇宙の法則はさっぱりわかりません。そこで、ちょっとした制約を考えます。それはノルムが1というものです。特殊相対論で見たように、物体の時空速度は光速に固定されています。つまり、時空速度のノルムが一定ということです。光速を1となるような単位系を導入すれば、現実の物体の時空速度のノルムは1ということになります。同じように、8元数においてもノルムが1に固定されている可能性を考えるわけです。そのような数体系には、純虚数の8元数、S7というものがあります。S7は7次元の「数」になります。

純虚数の複素数には、「回転」の操作という性質が自動的に付随します。特殊相対論の話の中で、ローレンツ対称性に言及しましたが、これは4元数のノルム1の数体系S3に見られる特徴です。このような性質はノルム1の特殊な数体系の特徴の一つなのです。なので、宇宙はノルム1の8元数で記述されている可能性がかなり高いのです。そのため、物理学ポエムでは宇宙がS7で説明できる可能性を探っていくことになります。




2026年10月24日土曜日

特殊相対論を再解釈すると量子もつれが理解できる説;ポエム解説①

「とてもかんたんだよ。心で見なくちゃ、ものはよくみえない。大切なものは目には見えないんだよ。」(サン・テグジュペリ「星の王子さま」)


特殊相対論を再解釈していくよ!

物理学ポエムではいろんな「怪しい理論」が展開されるのですが、実はそれなりに根拠があります。それをできるだけ解説したいと思うのです。でも、膨大な量になるので、小分けして説明していきたいと思っています。まずは、全然怪しくない部分、「みんな大好き特殊相対論」からです。

特殊相対論とは、誰でも知っているアルバート・アインシュタインさんが1905年に発表した理論です。もう100年以上経っていますが、今のところ反証が見つかっていない、非常に信頼のおける理論です。それどころか、数々の予言を的中させていて、様々な理論の基礎になっています。特殊相対論の導出において、アインシュタインは「光速不変の原理」を導入しました。「光は真空中を、つねに発光体の運動状態とは無関係な、ある一定の速度 V で伝播する」としています。僕たちがどんなに高速に運動していても、光の速度はいつでも一定であるという宣言です。これは僕たちの直観に反します。なので、特殊相対論の理解に当たってはいろいろな混乱が生じます。

ここで語られる様々な考察の多くは、一般的に語られる説明と随分違います。きちんと読み解けばわかりますが、特殊相対論の原則を厳密に適用しているだけで、何か新しい概念を付け足しているわけではありません。というか、一般には別々に説明されている事柄を、慎重に組み合わせているだけ、という側面の方が強いと思います。あと、ここでは一般相対論には立ち入りません。僕の考えでは、特殊相対論と一般相対論は全く別物です。一般相対論は特殊相対論の一般化ではなく、一般相対論は特殊相対論を含みません。ま、これは僕の考えでしかないですし、その根拠を述べるのは別の機会になる予定です。

超有名な特殊相対論ですが、アインシュタインは原著の中で、「我々はここで……光が真空中を常に一定の速度 V で伝播するという前提(Voraussetzung)を導入しなければならない。」とも述べています。光が一定の速度 V で伝播する、とは断言していません。それを前提とする、としています。もし光が伝播するものであれば、断定するでしょう。もし光が伝播するものでない可能性、何らかの理由で、光が一定の速度 V で伝播する、「ように見える」だけでも、この前提を満たします。アインシュタインは、光が空間を伝播するようなモノではない可能性を捨てていなかったと僕は推定しています。

アインシュタインが慎重だったのには、1905年ごろの時代背景が強く影響していると思います。当時は「光の媒介となる実体(エーテル)」を探す実験(マイケルソン・モーリーなど)が悉く失敗していた時代でした。19世紀末にマクスウェル方程式によって、光は空間を伝播する波、としていったん決着しましたが、光の直進性などいくつかの性質は依然として粒子説を支持していました。量子の考え方はもう少し後にならないと出てこないので、光の実体がどうなっているか分からないという状態だったのです。だからこそ、観測のルールとして『光速不変の前提』という慎重な態度をとったのだと思われます。

観測の「仕組み」によって、どんな慣性系からも光が一定速度で伝播しているという結果が得られるのであれば、実際に光が一定速度で伝播していても、観測の仕組みでそう見えるとしても、光速不変は変わりません。光速不変の理由を考えるよりも、光速不変を受け入れたときに何が起こるか考える、というのが特殊相対論のエッセンスなのです。

種明かしをすると、通常の特殊相対論の解釈では、光は一定速度(光速)で空間を伝播する、としています。でも僕は、「観測の仕組み」によって、光は光速で空間を伝播するように見える、と考えています。どちらも特殊相対論の原則である、光速不変の原理、を逸脱しているわけではありません。


ミンコフスキー計量について

ここでは特殊相対論の導出をしたいわけではないので、結論を述べたのち、その解釈について考察していきます。

最初の結論は、ミンコフスキー計量と固有時間の概念です。特殊相対論では時間と空間をごちゃまぜにした時空という概念が導入されるのですが、時空においては「距離」の概念が少し修正されます。具体的には、時空での距離はミンコフスキー計量が適用されます。

$d\tau^2=(c dt)^2-dx^2-dy^2-dz^2$

という形で「距離」が定義されます。この距離は固有時間とも呼ばれます。次元を落として、

$d\tau^2=c^2 dt^2-dx^2$

原点を出発点とする光の運動を考えると、 $dx = c dt$ なので、$d\tau=0$が得られます。これをもって、光は固有時間0で伝播する、とされます。これはヌル条件とも呼ばれます。$x = c t$ を× $(x,t)$の平面に図示すると、斜め45度の線になるので、これを以って、「光円錐」という概念が語られます。

さて、ここからが本番です。ミンコフスキー計量の両辺を$dt^2$で除して、整えます。

$c^2=(\frac{d\tau}{dt})^2+(\frac{dx}{dt})^2+(\frac{dy}{dt})^2+(\frac{dz}{dt})^2$

ここから、固有時間というものを考えると、4次元時空中での「時空速度」は常に$c$ということが導かれます。これは、一部の人たちには有名な話です。例えば、ブライアント・グリーン「エレガントな宇宙」など。

そうすると、速度を変更する=加速する、という概念が少し修正されます。すなわち、速度が変化したとしても、時空速度は常に$c$なので、空間での速度の変化は、4次元時空では固有時間の方向が、変化=回転、することに対応します。要するに、加速とは、4次元時空での回転なのです。これはローレンツ対称性と呼ばれています。この描像はウィック回転と呼ばれています。

有名なローレンツ変換はこれを3次元時空で見たときの操作になっています。特殊相対論の世界では、速度ベクトルの足し算は厳密には成立しません。4次元時空で考えると、いかなる速度ベクトルの変化(加速)においても、時空速度が$c$を超えてしまうのです。半径$c$の(超)球面からはみ出した時空速度を縮めて(超)球面に押し戻す計算がローレンツ変換です。

慣性系を時空速度で考えれば、固有時間方向のベクトルになります。その最大値は垂直の方向。最大速度の光は、固有時間0の方向に「飛んでいく」=慣性系の固有時間方向に対して垂直、となります。つまり、時空速度で考えると、光は45度(光円錐)ではないのです。


光速$c$について

特殊相対論に関する説明では、物体は速度が光に近づくと時間の進みが遅くなる、とされます。この記述に違和感を感じる人はなかなか素晴らしいです。特殊相対論の結論として、時間は慣性系に依存するのだから、時間の進みが変化しても問題ありません。でも、時間の進みが遅い(あるいは早い)というとき、基準がどこかにないといけません。でも、そういう時間の基準は存在しない、と特殊相対論は結論付けています。ロジック、分かります?

加速とは時空速度を回転させることでした。最初の固有時間(方向)をAとしましょう。少し加速すると、時空速度が少し回転し、新たな固有時間Bを得ます。固有時間Bからさらに加速すると、さらに回転し、固有時間Cを得ます。その結果、固有時間はどんどん傾きます。ただし、1回の加速が同じならば、A→BとB→Cの角度変化は同じはずです。加速を続けるにはエネルギーの問題があるのですが、とりあえずエネルギーの問題を無視すれば、加速を続けることで、固有時間はぐるぐる回ります。その途中で、固有時間Aに対して垂直を通過するでしょう。固有時間Aに対して垂直、とは固有時間Aから発する光と同じ方向です。つまり、加速を続ければ光速に至るのです。

いやいや、加速を続けても光速に達しないって、みんな言ってる。それは間違い?光速に達する?達しない?どっち?実はこれはどちらも正しいということになります。違いは、誰から見たときの真実か?

加速する物体を外から眺めているならば、その物体は永遠に光速に達しません。なぜなら、加速して速度が増すにつれ、物体内部の時間の進みが、「外側の観測者から見たときに」遅くなり、時間当たりの加速が小さくなっていきます。だから、永遠に光速に到達しません。

一方、加速する物体の立場では、時間の進みは遅くなりません。常に一定の加速が続きます。出発地点(固有時間A)から考えると、有限時間内で固有時間Aにおける光速に達します。ただし、物体が光速に達したときというのは、固有時間Aからみると永遠の時間経過時点、その頃には宇宙が滅んでいるかもしれません。

それでもちょっと変な気がします。光速に達した物体はどのように見えるでしょう?答えは、「見えない」です。物体を見るには、物体から発した光を受け取る必要があります。さて、光速に運動する物体から発せられる光の方向はどうなるでしょう?光は固有時間に垂直に発せられ、光速に運動する物体の固有時間は、観測者の固有時間に垂直です。つまり光速の物体からの光は、観測者の固有時間の垂直状態から垂直に発せられます。絵に描けばすぐわかります。観測者の固有時間と平行ですね!つまり、永遠に交わらない=光が届かない、というのが答えになります。見えないんだったら存在しないのと同じなんでしょうか?どうなんだろ?


光は時空の2点を結ぶ

光速とは物体が到達できない限界の速度であり、光は常に光速で伝播する特別な存在だ、って僕たちは教わります。でも、先の例にあるように、加速を続けることさえできれば、(現実には不可能だけど)光速に達するだけでなく、見かけ上、光速を超えることすらできるのです(見えないけど)。では光の特別さはどこにあるのでしょう?

光は観測者(発光点)の固有時間に対して垂直な方向に飛ぶ?のであり、その方向こそが同時の定義であるということになります。同時より固有時間側は未来であり、その反対側は過去と定義できます。この描像は、観測者の固有時間に基づく定義で、観測者が変わると、状況は変化します。

そこで、ここからは、発光点と吸光点の2つを考えて、その間を光が移動する状況を考えていきましょう。

特殊相対論の最も大きな結論の一つは、異なる2つの地点に共通する時間を概念レベルで否定する、というものです。その代わり、光を同時の概念の代わりに用います。これはある意味、前提に近いものです。観測される光速があらゆる慣性系で同じになるためには、時計が観測系に依存しなければならない、ということが、アインシュタインの発見です。

物体の運動は時空中の軌跡として描かれます。このとき、観測者の軌跡は(固有)時間方向に直線ですが、観測者が観測する物体の運動はそうではありません。物体の時間経過は、物体の軌跡に沿ってミンコフスキー計量$d\tau$を積分したものになります。

同じような固有時間の積分を光の軌跡に関して実行してみましょう。光の軌跡は$d\tau=0$であると、以前のセクションでわかっています。なので、いくら積分しても固有時間は進まない、と結論できます。すなわち、光の軌跡上は同じ固有時間=同時、ということになります。ホントかウソかわからないのですが、特殊相対論の着想に至るために、アインシュタインは光の速度で飛んだらどうなるか、という思考実験を行ったと伝えられています。果たして、アインシュタインは、光の速度で飛ぶと時間が進まないという結論を見出していたのかどうか。

この結論は興味深い事実を導きます。2点間を光が結ぶとき、発光点と吸光点の間を飛ぶのに時間がかかると考えがちです。でも、光にとっては2点間を瞬時に移動していることになるのです。それはもはや移動と言えるのか?そういう疑問が生じます。

でもそういう疑問が、むしろ福音である分野があります。みんな大好き量子力学です。量子力学では、発光と吸光が同時に混ざる、とされます。結果=吸光がおこならない限り、原因=発光が生じない、ということを量子力学は要請します。言い換えると、原因と結果が「同時」じゃないと都合が悪いということです。

さあ、結論が出ました。特殊相対論によれば、光は発光点の同時の方向に発せられ、吸光点に届きます。発光点から見れば吸光点は「同時」なのです。それはつまり、発光点と吸光点が「同時」の概念でつながっていることを意味します。その間に、発光と吸光の同時性を要求する量子力学が成立しても、何の違和感もありません。

量子力学における因果の同時性は、特殊相対論と相性が悪いわけではないということが説明できました。でも、僕らは実世界で因果の区別を感じています。一方の量子力学では因果の区別ができないということで、両者の矛盾が問題とされています。さて、発光と吸光の量子力学過程の特殊相対論的描像において、発光と吸光には明確な区別があります。それは、発光点と吸光点をつなぐ光は、発光点の固有時間に垂直だけど、吸光点の固有時間に対して垂直とは限らない、という事実です。つまり、原因=発光と、結果=吸光には、2点をつなぐ線分とそれぞれの地点の固有時間との角度に関して明確な区別があるということです。一般に、吸光点の固有時間から見ると光の方向は、普通は過去側にあります。つまり、吸光点からみると結果が現在で、原因=発光点は過去にあるのです。そのような違いに基づいて、僕たちは「同時」につながっている量子力学過程に、時間的順序という因果の概念を認めているのです。

この描像は量子もつれを見事に説明します。量子力学によれば、原因と結果は両方同時に確定する、とされています。因果関係の文脈では、発光が起こらないと吸光が生じない、というのが常識です。一般に、光子の移動には時間が必要なので、発光が先、吸光が後、ということになって、時間的な順序から、発光が原因で、吸光が結果、に割り当てられています。でも、量子力学的文脈では、吸収が起こらないと発光が生じない、というのもアリなのです。その場合、時間的に後のはずの吸収が原因で、時間的に先のはずの発光が結果になるのです。そのような時間(時空)的逆転現象のことを「量子もつれ」と呼び、時間的逆転状態のことを「エンタングルメント」と呼んでいます。でも、ここで議論したように、発光と吸光は同時の概念である光で結ばれており、現象的な順序は意味消失しているのです。だから、「量子もつれ」は不思議でも何でもない、と結論できます。

さて、ここに至り、光は空間を時間をかけて移動する存在なのか、ちょっと疑問になります。量子もつれは、情報なりエネルギーを未来から過去に運ぶので、因果関係が狂ってしまい混乱します。でもここで議論したように、量子力学過程にはそもそも因果関係は存在せず、特殊相対論的な事情で、時空の2点間の時間的序列を無視して、光が2点間を「同時」の概念でつないで、量子力学過程を成立させているのです。光の移動に「時間」は要らないのです。なぜなら、「同時」だから。

そうすると、光は粒子というより、線と考えた方が良くなります。発光がないと吸光がなく、吸光がないと発光がないのであれば、光は両端を持つ線分としてしか存在できなくなります。ま、すごく長い粒子、と言えなくもないかな?


星空を見上げる

光が届く範囲はすべて、「発光点の同時」であるという結論は、驚くべきことです。近い範囲の発光と吸光現象ならそれほど違和感がないかもしれません。でも、もっと遠い2点間の発光と吸収だと、僕たちの常識が破壊されます。極端に遠い2点間の発光・吸収現象の典型例は、星空です。

星空を眺めるとき、僕たちは何億光年も遠くの星の光を目の中で受けます。そう、遠い星の発光と、僕たちの目の中の吸光が、星の光でつながっているのです。

よく考えると、「光年」という単位は、僕たちに届く光を、発光点の距離で測る、そういう単位です。光が届く範囲は「発光点の同時」なので、発光点がどれだけ遠くにあっても、発光点と同時につながることができるのです。

量子力学の原則に基づくと、吸収がなければ発光は生じません。つまり、僕たちが遠い星を観測しないと、遠い星での発光は生じないのです。僕たちは遠い星の光を見るたびに、「おそらく過去」の星で生じている発光現象に影響を与えているのです。量子もつれは、100億光年彼方であっても、生じるのです!


2026年10月21日水曜日

A Poem on Physics (English version)

 0. Why are there laws in the universe?

Perhaps the idea should be in the reverse.
Because there are things like laws in the universe, we can understand it.
And we are satisfied. We want to understand the universe.
Will that ever succeed?
In the first place, the universe might not be something we can comprehend.
Even so, we believe that the universe is understandable.
It is like a baseless prayer.


This is my humble wish.

If so, the fundamental question would be as follows:

If the universe is an understandable entity, what conditions must it satisfy?



1. The Requirements of Existence

First, states or phenomena in the universe must correspond to some kind of numbers.

Although we do not know what kind of numbers they are, in order to apply any sort of law, states must correspond to something like numbers.

This can be rephrased as the requirement of describability.


Second, the states of the universe possess some algebraic structure.

A law means predictability under fixed conditions.

Conditions correspond to certain numbers, and to those numbers, certain operations—that is, algebra—must correspond.

This can be rephrased as the requirement of predictability.


Third, that algebra must possess divisibility.

Our universe exists with remarkable stability within the observable range.

If the algebra inherent in the universe were one that outputted zero mid-calculation, the universe would not be nearly as stable.

In algebra, the property where operation results never become zero is called divisibility.

This can be said to be the requirement of the permanence of the universe.


Adolf Hurwitz proved that there are only four algebras satisfying these three requirements: real numbers, complex numbers, quaternions, and octonions.

Alas, the universe has only four choices.

And as an observational fact, strange particles called elementary particles exist in our universe.

Let us make this the fourth requirement.


That is, fourth, the algebra of the universe must be able to describe the symmetry of elementary particles.

The only algebra with the potential to describe these strange particles is the octonions.

To guarantee complete divisibility, the algebra permitted in the universe must consist solely of multiplication.

The entity holding such conditions is closed octonions—purely imaginary $S^7$.

$S^7$ contains no zero to begin with.



2. The Geometry of $S^7$ and the Birth of Physics

$S^7$ contains three associative imaginary axes and four non-associative imaginary axes.

The three associative imaginary axes possess properties akin to space.

The three-dimensional space we know well must relate to these three associative imaginary axes.

Considering that $S^7$ is closed, it corresponds to spacetime metrics.

The three associative imaginary axes of $S^7$ determine the directions of three-dimensional space.


$S^7$ has a fatal weakness: it is non-commutative and non-associative, imposing severe constraints on operations.

Physics cannot be constructed with an algebra where one cannot move.

Now, what is the true nature of what we call physics? Phenomena we consider as physics boil down to the fact that interactions between two states serve as the minimal unit. In the world of $S^7$, does there not exist an operation that guarantees at least associativity?


Emil Artin stated: "Even if the entire algebra is non-associative, the subalgebra generated by any 'two elements ($a$ and $b$)' satisfying specific conditions is associative."

In $S^7$, that condition is sharing a single imaginary axis.

Sharing a single imaginary axis in $S^7$ corresponds to connecting two states with a null condition.

In special relativity, a null condition means connecting two points in spacetime with a single ray of light.

It is the condition for "observation," and it is also the condition for "interaction."

Of course you knew that, because observation is carried out through interaction.

And! From the algebra between two points connected by Artin's theorem, non-associativity is removed, creating room for physics to be established.


But! It is still non-commutative.

In a non-commutative algebra, operations occur through coproducts.

That is! Between two points connected by the simultaneity of special relativity, a coproduct algebra is established!

Coproduct algebra is otherwise known as quantum algebra.

Oh! This is truly a miracle!

Special relativity restores physics to $S^7$ and leaves behind quantum mechanics.



3. Relativity, Entanglement, and Light

Quantum mechanics carved out from $S^7$ provides the story that "two states are connected and interact via the concept of simultaneity in special relativity."

In other words, two states classified into cause and effect are simultaneous from the perspective of interaction, explaining that the temporal order impressed upon us by the distinction between cause and effect does not actually exist.


Because two states in four-dimensional spacetime have different proper times, their intersection angles with the interaction segment differ.

This difference in angles gives rise to the distinction between cause and effect.

Since special relativity denied the existence of a common clock between two locations, discussing the temporal precedence or succession between distant points was fundamentally impossible to begin with.

When viewing another location from one point, we were merely labeling it as "past" or "present" depending on the angle relative to our own proper time.


If we redefine the relationship between cause and effect in this way, quantum entanglement ceases to be a mysterious phenomenon at all.

When the angle of the interaction segment connecting two points is controlled by a special operation, we call it entanglement.


At the end of this scenario awaits a shocking conclusion.

Namely, light does not travel through space at the speed of light; it is not even a particle to begin with.

There is no actual entity moving.


Light is the bearer of interaction, and because we recognize that an interaction occurred, we perceive that light traveled between them.

Therefore, we have never once actually seen light.

What we recognize is solely the fact that an interaction took place.

Particles that transmit force might inherently be things like this.



4. Mass, Geometry, and History

Three axes of $S^7$ are associative, and the remaining four are non-associative.

The three associative ones are relatively free, but severe conditions are imposed on the four non-associative ones.

In ordinary interactions, the non-associative part behaves like a constant.

Since the norm of $S^7$ is fixed, the norm of the four non-associative axes acts as a "weight" relative to the norm of the three associative axes.

In other words, the norm of the four non-associative axes will appear as mass.

And the paired three associative axes correspond to momentum.

Spacetime may be born as the Fourier dual of $S^7$.

If so, the four non-associative axes will produce a slight distortion in spacetime—a distortion roughly proportional to their norm.

Could inertial mass and gravitational mass ever possibly differ?


Ruth Moufang pointed out that the subalgebra carved out by Artin's theorem possesses a discrete, cyclic associative law called a Moufang loop.

The Moufang loop has characteristics resembling rotation.

However, because that rotation exists outside the concept of time, it would appear as rotational motion exceeding the speed of light.

This would correspond to how the properties of elementary particles, such as electron spin, differ completely from ordinary physical laws.

What we can observe must correspond to the invariants of those rotation operations.


In $S^7$, Artin's cuts produce a special geometric arrangement.

Known as the 16-cell, it forms—through the Moufang loop—a miraculous figure called the 24-cell. $S^7$ contains $SU(3)$ symmetry, but when carved out by Artin's theorem, the symmetry becomes incomplete.

But! The 24-cell reconstructed by the Moufang loop contains $SU(3)$ in a discrete form.

$SU(3)$! Discrete! This is precisely the hallmark of elementary particles!


Although the interactions carved out by Artin's theorem are associative, $S^7$ itself remains non-associative.

But do not despair.

The non-associativity of $S^7$ explains a very important fact: namely, that the universe has history.

Non-associativity means things like $(AB)C \neq A(BC)$.

A state where a glass filled with milk is dropped on the floor is by no means the same as a state where the milk is spilled first and then the glass is dropped.

The universe clearly possesses such a property, and that property can be said to be none other than non-associativity.


5. This is just our wish.

Our discussion has expanded greatly, but please remember.

Our starting point was simply the conditions for the universe to be an understandable entity. That was my humble wish.

That was all.

To understand the universe is nothing less than continuing to hold onto that single, solitary wish.



宇宙が理解可能である条件から始まる旅;物理学ポエム

 ちょっとしたポエムを作った。

単なるポエムというわけではないので、解説も追加していこうと思う。

「宇宙が何のためにあり、なぜ存在するのかを完全に突き止めた者が現れた瞬間、宇宙は忽ち消え去り、より奇怪で説明のつかない何かに置き換わる。さらに厄介なことに、それはすでに起こってしまった、と主張する者もいる」(ダグラス・アダムス「銀河ヒッチハイク・ガイドガイド」)


序

宇宙にはなぜ法則があるのだろうか?

その発想は逆かもしれない。

宇宙に法則のようなものがあるから、僕たちは宇宙を理解できる。

そして僕らは満足する。

僕たちは宇宙を理解したいのだ。


果たしてそれは成功するだろうか?
そもそも宇宙は僕たちが理解できるようなものではないかもしれない。
それでも僕たちは宇宙は理解できるものだと信じている。
それは根拠のない祈りのようなものだ。
これは僕のささやかな願い。
であれば根源的な問いは次のようになるだろう。


起

宇宙がもし理解可能なものであるならば、宇宙はどのような条件を満たしてなければならないだろうか?


1つ、宇宙における状態あるいは現象は何らかの数に対応させることができる。
その数はどんなものかはわからないけれども、何かしらの法則を当てはめるためには、状態は数のようなものに対応していなければならないだろう。
これはすなわち 記述可能性の要請と言い換えることもできる。

2つ、宇宙の状態は何かしらの代数構造を持つ。
法則とは決まった条件下で予測が可能であるということだ。
条件というのはすなわち何らかの数に対応しており、その数に対して何らかの操作すなわち代数が対応しているはずである。
これはすなわち予測可能性の要請と言い換えることができる。


3つ、その代数は可除性を備えていなければならない。

我々の宇宙は観測可能な範囲で非常に安定して存在している。

もし、宇宙に備わった代数が演算の途中で0を出力するようなものであれば、宇宙はこれほど安定していないだろう。

代数において演算結果が0にならないことを可除性という。

これはすなわち、宇宙の永続性の要請と言える。


アドルフ・フルヴィッツは、これら3つの要請を満たす代数は、実数、複素数、4元数、8元数の4つしかないと証明した。

悲しいかな、宇宙の選択肢は4つしかない。


そして観測事実として、僕たちの宇宙には素粒子という奇妙な粒子?が存在している。

これを4つ目の要請としよう。

すなわち、4つ、宇宙の代数は素粒子の対称性を記述できなければならない。

この奇妙な粒子を記述できる可能性があるのは8元数しかない。

完全な可除性を保証するには、宇宙に許される代数は積のみで構成されねばならない。

そのような条件を持つのは閉じた8元数=純虚数の$S^7$になる。

$S^7$にはそもそも0が含まれない。


続

$S^7$には結合的な虚数軸3つと非結合的な虚数軸4つが含まれる。
結合的な3つの虚数軸は空間のような性質を持つ。
僕らがよく知る3次元空間はこの結合的な3つの虚数軸と関係するはずだ。
$S^7$が閉じていることを鑑みると、時空速度ということになるだろう。
$S^7$の3つの結合的虚軸は3次元空間の方向を定める。
$S^7$には致命的な弱点がある。
非可換かつ非結合的で演算に厳しい制約が課されてしまう。
身動きできない代数では物理が構成できない。


さて、我々が物理と呼んでいるものの正体は何だろう?

僕たちが物理として考える現象は、2つの状態間の相互作用を最小単位としているということに尽きる。

$S^7$の世界で、少なくとも結合性ぐらいは保障される、そのような演算は存在しないだろうか?


エミール・アルティンは「たとえ代数全体が非結合的であっても、特定の条件を満たす任意の『2つの要素(a と b)』が生成する部分代数は結合的である」と述べている。

$S^7$において、その条件は1つの虚数軸を共有することである。

$S^7$において、1つの虚数軸を共有するとは、2つの状態をヌル条件で結ぶことに対応する。

特殊相対論においてヌル条件とは時空中の2点を1本の光線でつなぐこと。

「観測」の条件であり、それは「相互作用」の条件でもある。

もちろん知っていたさ。

だって、観測は相互作用を通じて行うんだからね。

そして!アルティンの定理で結ばれた2点間の代数からは非結合性が取り除かれ、物理が成立する余裕が生まれる。

でも!未だ非可換だ。

非可換の代数では、演算は余積を通じたものになる。

すなわち!特殊相対論の同時性で結ばれた2点間に余積代数が成立する!

余積代数は別名を量子代数と言う。

おお!これこそ奇跡!

特殊相対論は$S^7$に物理を取り戻し、量子力学を残すのだ。


承

$S^7$から切り出された量子力学は、「2つの状態が特殊相対論の同時の概念で接続されて相互作用する」、というストーリーを与える。

つまり、原因と結果に分類される2つの状態は、相互作用の観点からは同時であり、原因と結果の区別から印象付けられる時間的な順序は存在しないということを説明する。


4次元時空における2つの状態はそれぞれ固有時間が違うので、相互作用の線分との交差角度が違う。

この角度の違いが原因と結果の区別を与える。

特殊相対論は2つの地点に共通の時計の存在を否定したのであるから、離れた地点間の時刻的な前後を議論することはそもそもできなかったんだよ。

片方の地点から、もう片方の地点を見た時に自分の固有時間との角度に応じて、過去や現在とラベル付けしてただけなんだ。

こうして原因と結果の関係を再定義すれば、量子もつれは不思議な現象でもなんでもなくなる。

2つの地点を結ぶ相互作用の線分の角度が、特別な操作によって制御されたものである時に、それを僕たちはエンタングルメントと呼ぶ。


余

このシナリオの最後には1つの衝撃的な結論が控えている。

何と光は空間を光速で移動しているわけではない、 そもそも粒子でもない。

何かしらの存在があるわけでもない、ということだ。

光は相互作用の運び屋であり、僕たちは相互作用があったということを以って、その間に光が移動したと僕たちは認知する。

だから僕たちは光を見たことなんて一度もないんだよ。

僕らが認識しているのは相互作用があったという事実のみだ。

力を伝える粒子というのは、そもそもこういうものかもしれない。


$S^7$の3つの軸は結合的で、残り4つは非結合的だ。

結合的な3つは比較的自由だけど、非結合的な4つは厳しい条件が課される。通常の相互作用では、非結合的な部分は定数のように振る舞うことになる。

$S^7$のノルムは固定なので、非結合的4軸のノルムは結合的3軸のノルムに対して「重し」になる。

すなわち、非結合的4軸のノルムは質量のように見えるだろう。

そして、相方の結合的3軸は運動量、と言うことになる。

時空は$S^7$のフーリエ双対として生まれるかもしれない。

もしそうなら、非結合的4軸は時空にわずかな歪みを生むことになる。

概ねそのノルムに比例する歪みを。

果たして、慣性質量と重力質量は異なることなどあり得るだろうか?


還

ルス・ムーファンは、アルティンの定理で切り出された部分代数にムーファンループと呼ばれる離散的で巡回的な結合則があると指摘した。

ムーファンループは、回転のような特徴を持つ。

ただし、その回転は時間の概念の外側に存在するので、光速を超えた回転運動のように見えるだろう。

電子のスピンなど、素粒子の性質が通常の物理法則と全く異なることと対応するだろう。

僕たちが観測できるのは、それらの回転操作の不変量に対応するはずだ。


$S^7$においてアルティン切断は特殊な幾何学配置を生む。

正16胞体と呼ばれるそれは、ムーファンループによって、正24胞体と言う奇跡の図形を構成する。$S^7$はSU(3)の対称性を含むが、アルティンの定理によって切り出されると対称性が不完全になる。

しかし!ムーファンループで再構成された正24胞体はSU(3)を離散的な形式で含む。

SU(3)!離散的!

これこそ素粒子の特徴!


アルティンの定理によって切り出された相互作用は結合的ではあるけれど、$S^7$自体は依然として非結合的だ。

でも悲観することはない。

$S^7$の非結合性はとても重要な事実を説明してくれる。

すなわち宇宙に歴史があることだ。

非結合性とは、(AB)CとA(BC)が異なることなど。

ミルクの入ったグラスを床に落とした状態と、ミルクをこぼしてからグラスを落とした状態は決して同じではない。

宇宙には明らかにそのような性質があり、その性質はすなわち非結合性と言える。


始

話が大きく広がってしまったけれど、思い出してほしい。

僕たちの出発点は、単に宇宙が理解可能な存在である条件だった。

それは僕のささやかな願い。

それだけだった。

宇宙を理解するとは、そのたった1つの願いを持ち続けることに他ならない。


2026年9月3日木曜日

フィッティングと機械学習

 

PRMLという標準教科書

機械学習と言うのは今では人工知能(AI)とほぼ同義の専門用語である。正確に言うと機械学習は人工知能の実現方法の一つでしかないのだが、現在流通している人工知能の大半は機械学習をベースとしてるものだ。機械学習と言う概念が一般化したのは2000年代であり、人工知能の概念に比べると比較的新しいと言える。

ご存じのように人工知能は爆発的に普及しつつあり、現在、最重要課題の一つである。そのため、多くの人がそのベース技術である機械学習に興味を持ち、様々な解説が世の中にあふれている。しかしながら、機械学習のルーツは人工知能とはかけ離れたフィッティングにあり、人工知能とフィッティングの両方に精通した人は最先端の研究で忙しいことから、一般向けの解説ではうまく説明されていないように思う。

機械学習の分野ではC. M. Bishopの「Pattern Recognition and Machine Learning (PRML)」という本が標準教科書とされている。日本語訳が共立出版から2分冊として販売されている。手心を一切含まないことで定評のある黄色い本のシリーズである。驚くべきことに、このPRMLの上巻はほとんど丸ごとフィッティングの基礎について書かれている。下巻も半分くらい高度なフィッティング技術についての解説となっている。読者の多くは人工知能に興味のあるソフトウェア技術者なので、少々面食らうことになる。

フィッティングは数値計算の一分野であり、計算機科学の一部ではある。そのため、ソフトウェア技術者は、そういう技術が存在すること、ライブラリがあること、を知っている。大学などでフィッティングの基礎(最小二乗法)について学んでいるかもしれない。でも、フィッティングの専門家でない限り、19世紀の技術である最小二乗法の知識にとどまる。だからこそ、PRMLでは、機械学習で必要とされる進んだ=モダンなフィッティング技術、をコンパクトに記述している。このコンパクトさは、まあまあ妥当なんだけど、手心を一切含んでいないので、本を読むだけではなかなか理解できない。そのため、機械学習の研究室では「PRML読書会」が普通だし、「PRML解説本」すら存在する。ソフトウェア界隈の傍流であるフィッティングを理解するには、周辺の理解を含めて膨大な「新規学習」が必要なのだ。

ソフトウェア界隈の主流の一つである人工知能分野ではニューラルネットワークという概念が今も支配的である。ホップフィールドがニューラルネットワークの概念を提案し、学習プロセスとしてバックプロパゲーションというアルゴリズムを導入することで、本格的な人工知能研究が始まったという歴史的な経緯がある。そのため、人工知能=ニューラルネットワーク≒ホップフィールドモデルというのが人工知能分野のセントラルドグマとなっていた。そのため、人工知能の導入においてはほぼ必ずニューラルネットワークへの言及がある。ところがPRMLではニューラルネットワークの話が欠落している。


ニューラルネットワーク信仰

ある程度人工知能に関する知識を持つ人はニューラルネットワークという言葉が出てくると安心するらしい。しかしながら、機械学習は最初の段階でニューラルネットワークと決別することで発達してきたという側面がある。機械学習とニューラルネットワークの最大の違いは「ニューロン」に相当する要素の数である。機械学習の要素数は、従来のニューラルネットワークの要素数に比べて1万倍から1億倍となっている。そのため、「ニューラルネットワークの構造(配線)」という考え方が機械学習では存在しない。従来型の人工知能が、計算規模抑制の観点から、なるべく小規模なニューラルネットワークで複雑な機能を実現しようとしていたのとは対照的に、機械学習では計算規模の制約を取っ払って力業で複雑な機能を実現するという点で、思想的に異なる。

「計算規模の制約を取っ払う」には計算規模の問題だけでなく、計算の不安定化の問題を解決しなければならなかった。計算規模の問題は21世紀に入って急速に発達したGPUによる計算技術が解決策となった。計算の不安定化の問題はフィッティング技術の発達が解決策を与えた。GPUによる計算はエンジニアリングの範疇であり、科学的な飛躍と言うわけではない。一方、最先端のフィッティング技術の導入は機械学習の核心と言える。

ご存じのように人工知能は爆発的に普及しつつあり、現在、最重要課題の一つである。多くの人がそのベース技術である機械学習に興味を持ち、様々な解説が世の中にあふれている。しかしながら、機械学習のルーツは人工知能とはかけ離れたフィッティングにあり、人工知能とフィッティングの両方に精通した人は最先端の研究で忙しいことから、一般向けの解説ではうまく説明されていないように思う。


フィッティング

フィッティングという概念が確立したのは19世紀初頭の小惑星ケレス再発見に端を発する。ガウスはケレスを再発見するために最小二乗法を考案し、利用したと言われている。最小二乗法はフィッティング変数が増加すると計算量が爆増するため、大規模なフィッティングは実用的ではなかった。変数が2個程度であれば、プロットして近似直線を引くのが簡単だ。変数3個なら最小二乗法も可能であるが、変数が4個になると手計算が困難になってくる。問題を工夫して変数2個のフィッティング問題に帰着させるというのが、現実的な解であった。

そういった状況が150年ほど続いたが、状況を一変させたのは第二次世界大戦であった。第二次世界大戦では大砲による精密射撃が戦況を左右するため、砲撃の誤差を修正する方法が重要となった。空気抵抗や風の影響を考慮した弾道計算はかなり複雑でパラメータも多い。そこで米軍は軍属や未亡人女性を中心に大規模な人力フィッティング計算を行っていた。それでも計算量が莫大であるため、省力化のための研究も行っていた。その中でLevenbergが画期的なフィッティングの省力化手法を開発した。彼の手法が戦争で実際に役立ったのかはわからないが、米軍の紀要に発表している。

Levenbergの仕事はほとんどだれの目にも触れなかったが、第二次世界大戦後に急速に発達した計算機技術の重要な応用分野としてフィッティングが研究され、MarquardtがLevenbergと同じ省力化手法にたどり着いた。この方法はLevenberg-Marquardt法(LM法)と呼ばれ、非線形最小二乗法の計算コストを10分の1程度に圧縮した。

LM法は限定的ではあるが、フィッティングパラメータ数の上限を撤廃する効果を有していた。つまり、安定性の問題はあるが少ないデータで大量のパラメータを決定できる可能性を拓いた。その可能性に目を付けた一部の研究者は「逆問題」という分野を形成し、より高度なフィッティング技術を次々に生み出すことになった。

2000年頃、機械学習の創始者たちは任意のニューラルネットワークが標準的なフィッティング計算に「完全に含まれる」ことに気が付き、ニューラルネットワークを捨て、行列演算で人工知能問題を解くようになった。そこではホップフィールドのバックプロパゲーションは最小二乗法より原始的な最急降下法であることが示され、より高度なフィッティング技術を移植して学習プロセスをより柔軟に運用することができるようになった。

計算機技術の発達により、機械学習は規模の臨界点を超え、万能性を獲得し、今に至る。ホップフィールドとの決別こそが、人工知能爆発の原動力だったというのが僕の見解である。なのにホップフィールドにノーベル賞を与えるとは!嘆かわしい。


人工知能の数式

うちの研究室では、最もシンプルな人工知能を次式で表している。

$Y_i=X_{ij} A_j$

大文字の英字は行列あるいはベクトル(列が1個の行列)である。添え字は行列あるいはベクトルのサイズ(次元)を表している。添え字が2このものは行列、添え字が1個のものはベクトルである。この表式は、機械学習の基本式であり、人工知能が基本的に巨大な連立方程式であるという理解を与えている。見てわかるように、ここにニューラルネットワークが入り込む余地は全くない。

この式において、$A_j$は人工知能への入力、$Y_i$は人工知能からの出力である。そして、人工知能の本体は$X_{ij}$である。この式は、人工知能を使う場合の数式である。

一方、人工知能には学習という大事なプロセスがあるが、この数式における学習とは、多数の$Y_i$と$A_j$の組から、$X_{ij}$の要素を決定すること、だと定義される。もし、$A_i$に「逆数」があれば、$X_{ij} =Y_i A_j^{-1}$として$X_{ij}$が求まるがこれはできない。学習データである$Y_i$と$A_j$は多数あるとして、それに$k$のインデックスを与えれば、$Y_{ik}$と$A_{jk}$となり、$Y_{ik}=X_{ij} A_{jk}$と書ける。これでも$A_{jk}^{-1}$は作れないが、

$X_{ij} =Y_{ik} A_{jk}^t ( A_{jk} A_{jk}^t )^{-1}$

とすれば、形式的には解ける。ちなみに、この数式、ほとんど最小二乗法と同じものである。ここから、フィッティング技術を利用した様々な学習技術が編み出されることになる。


こんな簡単なことなら、もっと早くに機械学習の概念が認知されてもよかったと思うかもしれない。でも、フィッティングと人工知能の融合には一つの極めて重要なブレイクスルーが必要だった。それは、パラメータ数>>データ数という条件を認めるかどうか、というものだ。

一般に、フィッティングではパラメータ数はデータ数より十分小さくなければならない。最小二乗法などはこの条件を満たさない限り、数学的に破綻する。パラメータ数がデータ数を上回るということは、ちょっとの実験で、多くの解析結果が得られるということになり、実験科学における錬金術のような状況が生まれてしまう。パラメータ数<データ数という条件は、科学の正当性を担保する哲学の一部になっている。しかしながら、機械学習では$X_{ij}$の要素数は膨大で、$Y_{ik}$と$A_{jk}$の要素数よりはるかに多い。つまり、パラメータ数>>データ数というフィッティング問題になっている。

ここで、2つの障害が立ちはだかる。パラメータ数>>データ数でフィッティングを実行できるか?ということと、パラメータ数>>データ数であるフィッティング結果に意味があるのか?という2つの問いにどちらもYESで答えねばならないということである。

20世紀末~21世紀初頭にかけて、この問題について、徐々に認知され、そして両方ともYESで大丈夫という共通認識が形成されるに至っている。パラメータ数>>データ数でフィッティングを実行できるか?というのは、実際にそれが実行可能であるという事例を示すことで解決した。非線形最小二乗法の代表的な改良法であるLevenberg-Marquardtはパラメータ数>データ数でのフィッティングを可能にする。20世紀後半に登場したフィッティング技術であるMaximum Likelihood、Maximum Entropyも、同様の効果をもたらす。そしてとどめは、Sparse Modelingで、パラメータ数>>データ数という極端な条件でも安定して良好な結果が得られることを実際に示した。一方の、パラメータ数>>データ数であるフィッティング結果に意味があるのか?については、数学的にはなんと100年も前から、裏付けがあったということが再発見されている。すなわちMoore-Penroseの一般逆行列の存在が数学的な裏付けとなっている。

そして、パラメータ数>>データ数でのフィッティングがなぜ実行できるのか?ということに関しては、Tikhonov Regularizationという考え方が、根拠を示している。ターゲット関数に付加項を考えることで、解の可能性を絞ることができ、フィッティングを安定化させられるのだ。こうして全方位的に、パラメータ数>>データ数の問題を解決した結果、フィッティング技術は全く別次元の応用分野を見出すに至った。それが機械学習である。機械学習が21世紀初頭に急速に発達したのは、フィッティングにおけるこれらのブレイクスルーが直接のきっかけだったとも思われる。現代の人工知能を語るうえで、機械学習技術は基礎をなしており、機械学習技術のかなりの部分がフィッティングの分野からもたらされているのだから、機械学習の聖典であるPRMLの大部分がフィッティングに関する記述であっても、まったくおかしくないわけである。