序
僕は「科学」について、いくつか「非主流」な考え方を持っています。「似非科学」との境界ギリギリを攻めていると言うとわかりやすいかも。僕自身がそれに傾倒しているわけでもなくて、「主流」に対して懐疑的な立場を担保していて、「主流」のアンチテーゼとしていくつかの仮説を持っているという程度です。だから、僕の「非主流」な考え方が正しいと強弁することはありません。でも、つねにそういう「余地」を残すことが、正しい科学につながると思うのです。
かつてアインシュタインはニュートン力学に盾突きました。時間は絶対的なものではなく、空間は平坦ではない、という考え方です。特殊相対性理論と一般相対性理論ですね。ニュートン力学はおよそ300年にわたって正しいと信じられてきました。だから、ニュートン力学にいちゃもんをつけるのはとても勇気が必要だったと思います。アインシュタインが特殊相対性理論を発表したとき、アインシュタイン自身は理論の正しさにどれだけの自信があったのでしょう。僕はそんなに自信を持っていなかったかもしれないと思っています。というのもの、理論物理学者は自身の理論を仮説として提案するのが仕事であり、その仮説が間違っていてもあんまり気にしないからです。ま、特殊相対性理論に関しては、電磁気学においてすでに発見されていたローレンツ変換を電子以外の運動にも適用するような修正なので、当時の物理学者にとっては割と受け入れやすかったのかもしれません。
とはいうものの、当時絶対的に信じられていたニュートン力学という「主流」に対して修正を強いる提案ができたのは、「主流」に対して懐疑的な立場を容認するというメンタリティーが重要だったと僕は思います。アインシュタインが何を信じ、何をなそうとしていたのかは凡人の僕には思い及ばないですが、「主流」に対して何らかの不満があったのでしょうね。
とっかかり
今朝、以下の記事を見つけました。
「物理学者らは未だ量子力学の奇妙さに困惑しており、その真の意味について合意できていないことが『Nature』の調査で判明」
量子力学と言うと、微分方程式と並んで、多くの理系大学生に絶望を与えてきた分野です。どこまで勉強したとしても、「波動関数」が何かわからないし、「スピン」も実体が説明されません。そのくせ、いろんな分野に量子力学の考え方が幅を利かせます。よくわからないけど、受け入れるしかしょうがなくて、みんな正しいと言っているので大丈夫なはず、という分野だと僕は思っています。そして、僕が感じていることは正しいということが、Natureの調査で判明しているという記事です。
日本の同僚たちとの会話で、日本では確実に「そうだ!」とわかっていました。全世界的にそういう状態になっているということは家内(モスクワ大学卒)との会話から感じていましたが、Natureによる全世界的な調査でそれが裏付けられた形です。
量子力学にまつわるあいまいさは今に始まった話ではありません。そもそも波動関数の意味と実体について、考案者のシュレーディンガー自身も良くわからなくて、当時の物理学界での最高権威者であったニールスボーアに教えを乞うたという伝説があるくらいです。その時のボーアの説明は、現在コペンハーゲン「解釈」として多くの科学者に受け入れられています。そう、「解釈」なのです。「仮説」よりはマシですが「説」よりも確度が低い説明という扱いなのです。そして「解釈」はいまだに「解釈」であって、確定した説明になっていません。だから、量子力学はちゃんと理解できなくてもしょうがないのです。
絶望的な状況
通常、科学の世界では研究が進むと理解が深くなり、より世界が整理されていきます。しかし、量子力学には当てはまっていないようです。
量子力学では「観測」によって事象が確定するという奇妙なふるまいが知られています。これにより波動関数は何らかの確率を表すのだと解釈されています。波動関数が確率的にふるまうのは、観測にかからない「隠れた変数」が内部に存在し、それによって観測結果が変化するのだ、と説明する仮説がありました。そのような「隠れた変数」が存在するならば、特定の不等式を満たすはずだということがスチュアートベルによって示されました(ベルの不等式)。このあたりの議論は極めて哲学的で科学の範疇に収まらないと思われていましたが、当時大学院生だったアランアスペが実験によってベルの不等式が成立していないことを示しました。複数の研究グループによる検証の結果、ベルの不等式の不成立が確定し、「隠れた変数」説が完全否定されました。その結果、波動関数に関する理解はシュレーディンガー以前の混沌とした状態に戻ってしまいました。
この混沌とした状態からトンでも仮説がいろいろ飛び出しました。最も有名なのは「多世界解釈」です。パラレルワールドが実在するとする完全にSFのような世界観をまじめに議論するという、わけのわからない状況が生まれてしまっています。「主流」に余地を残しておくというのは健全な科学の在り方ですが、これはやりすぎだと多く科学者が思っています。
非主流の告白
僕自身は「隠れた変数」が存在すると思っています。というかそういうものがなければならないと思っています。実験事実として否定された「隠れた変数」説を改めて支持するというのは科学者として正しい態度ではないという批判はあると思います。
でも僕の考える「隠れた変数」は「観測結果を確定させる」ものではありません。僕は、観測結果は「常に」確定的なんだけど、観測可能な世界の中では確定できない、と考えています。その場合、ベルの不等式は修正を受け、成立しなくなると思っています。
大統一理論の議論中で世界は10次元+1次元であるという説があります。10次元を扱う候補の理論が複数提案されているなかで、次元の選び方を変更すると、候補の理論が相互に変換され、11次元から眺めると一つの理論に見えると言われています。詳しい理論は僕にはわからないですけどね。その余分の1次元とは何だろう?と思うわけです。
どんな理論においても、「時間」は「空間」と区別のつかないパラメータになります。そのような理論においては、過去も未来もすべて確定的な事象になります。つまり、大統一理論が成立した暁には過去も未来も確定してしまうのです。しかしながら、量子力学は「観測」しないと事象が確定しません。つまり、そもそも矛盾をはらんでいるのです。
時間と空間をすべて等価に取り扱う「時空図」を考える(世界を4次元として眺める)と、すべての物体は「線」になります。そして「線」は物体の運動を表すことになります。運動は物理法則に従わなければならないので、「線」にはかなり強い制限が伴います。そしてその線は過去から未来のすべての時間にわたってその強い制限を満たさなければなりません。無数に存在するはずのすべての物体について、そのような制限を「一発」で満たすのは至難の業です。
通常の物理学の考え方であれば、物体の位置や速度が時々刻々変化するとして、時間に関する微分方程式を解くことになります。だから、ある時点でのパラメータがすべて判明すればその後の展開(線)を予測できます。物理法則のほとんどは時間に関して可逆的なので、時間を反転して計算すれば、過去の「線」も遡れます。もし未来や過去において計算が破綻するとしても現在の近傍では問題はありません。
でも「時空図」を描くとき、そこには過去も未来もすべて確定的です。もし遠い過去や未来において現象が破綻する(例えば、ビッグバンとかビッグクランチとか)と、現在の「線」の存在が否定されてしまいます。現在を肯定的に説明するためには、何らかの仕組みによって現在近傍の「線」が確定するような「動的」な仕組みがあるはずだと僕は思っています。「動的」とは通常は時間的な変化を指しますが、「時空図」において時間はすでに使用済みなので、ここでいう「動的」というのは「時間のような何か」を時間に見立てた概念になります。そういう「時間のような何か」が、僕たちに影響する物理法則の埒外にあるもう一つの次元であると僕は思っています。
その「時間のような何か」が変化すると、時空図中の「線」がうにょうにょ動くと考えます。僕たちの主観は「線」に沿って時間方向に移動します。光などの「観測」は「線」と「線」の間をつなぐ「線分」になります。「線分」の両端は発光点と吸収点に対応します。量子力学的には吸収点が「観測」に対応し、吸収点の正確な位置が観測結果に対応します。発光時点と吸収時点における「時間のような何か」が同じであれば、観測結果は「確定的」です。不確定性は発生しません。発光時点と吸収時点とで「時間のような何か」が異なっていれば、観測結果は「別の法則」の影響を受けます。すなわち、「時空図」において「時間のような何か」の変化にともない「線」が変化する「何かの法則」があって、「観測」はその法則に影響を受けると考えらえれます。その「何らかの法則」という僕たちが感知できない全く未知の法則性に支配された観測結果は不確定に見えるでしょう。
突拍子がないわけではない
このような僕の意見は別に突拍子がないものと言うわけでもありません。アインシュタインが時間と空間の等価性を示した時点で「時空図」の概念は確定的です。時間と空間をともに一つの図の中に収めると、通常の意味での「点」は存在できません。「時空図」中に点が存在するとは、ある瞬間に現れて次の瞬間にはパッと消えてしまう何かの存在を認めることになります。量子的なゆらぎとかの概念かもしれませんが、通常物質ではありえません。「時空図」において、すべての物質は「線」になります。その「線」は過去から未来にずっとつながっているはずです(質量保存則)。
一方、光も「線」になります。光には発光点と消光(吸収)点があるので、「線分」になります。時間と空間を直交座標系にとれば、その「線分」の傾きは光速を表します。この概念は「光円錐」として相対論で導入済みです。相対論では「光円錐」は導入されるけど、物体は依然として「点」として説明されており、あんまりよくないと思います。「光円錐」はとても分かりやすい概念ですが、直交座標系の時空において光線が特定の角度をもつという極めて非対称な現象を認めてしまうという気持ち悪さがあります。これは修正されねばならないと僕は思っています。
「時空図」に光線を描きこめば、線分になるのは自明です。それが直線なのか曲線なのか、円錐なのか、どれが最も自然かと言えば、直線だと思います。そのような図形で相対論を説明する試みもあるのですが、あんまり対称性がたかくないんですよね。だから、「時空図」というものを持ち出す人が少ないのだと思います。
僕が正しいわけではない
ここで僕が示したいのは僕の主張の正しさではなくて、世間で流通している説以外にも説得力がある説が存在しうるということです。量子力学の理解にあいまいさが残るのは量子力学が難しいからではなくて、もっとよい説明があるのに僕たちが気づいていないだけ、かもしれません。もっとよい説明ってのは、トンデモ学説かもしれません。量子力学だって最初はトンデモ学説だったのです。シュレディンガーが水素原子の電子軌道を鮮やかに示し、炭素の結合手が4本であって正四面体をなすことをうまく説明できたことで、量子力学は正しいとみんなが信じているにすぎません。シュレディンガーも量子力学が完全に正しいなんて思っていなかったと思います。量子力学の理解が難しいのならば、よりシンプルでわかりやすい説明を探し続けるべきだと僕は思います。
微分方程式の議論において、一般解の選択は世界をどのように解釈するかの選択であり、一つの微分方程式が複数種類の一般解によってさまざまに解けるという事実は、世界を解釈する方法は一つだけではないということを数学的に示していると指摘したことがあります。実際、大学院の講義ではその話をしています。これも非主流の考え方ですね。
実際のところ、量子力学は世界を理解するための一つの解釈であり、別の解釈方法も存在すると思います。もしかすると、別の解釈方法の方がシンプルでわかりやすいかもしれません。量子力学がわかりにくいのであれば、量子力学以外の理解の仕方を模索すべきであり、その努力は決して無駄ではないと思うのです。
一般に優秀な人ほど既存の説明をキャッチアップするのに優れます。というのも「優秀」の基準が「既存の説明をキャッチアップする」能力だからです。でもそういうのにすぐれない人が画期的な進歩をもたらすこともあります。
かつてアインシュタインは就職がうまくいかず大学を出てから郵便局に就職しました。郵便局の職員時代に書いた3つの論文こそ、奇跡の年の3論文です。いずれも「既存の説明」をぶっ壊す革新的なアイデアに満ちています。アインシュタインは正直言って「コミュ障」で、「既存の説明をキャッチアップする」能力に劣っていました。自閉気味の人が些細なことにこだわって周囲とトラブルになるというタイプでした。奇跡の年の3論文のうち最も地味な成果がブラウン運動の解明なんですが、この論文のきっかけはなんと浸透圧でした。アインシュタインは浸透圧について理論的な考察を深めた結果ブラウン運動を説明してしまったのです。浸透圧なんて高校の化学で習う内容であり、計算が簡単なことから、試験で出たらラッキー問題扱いです。でも浸透圧とは何なのか、なぜ浸透圧のようなものが観測されるのか、浸透圧にまつわる奇妙な性質はちゃんと説明できるのか、といったことをきちんと説明するのは大変困難です。アインシュタインは心の滓のように引っ掛かっていたそれらの疑問を、希望通りにならなかった就職先でウジウジと考え続けたに違いありません。
浸透圧に思いをはせた科学者はそれまでにもたくさんいたはずです。でもブラウン運動に到達した人はいませんでした。僕も浸透圧を習ったときに「不思議な現象だな」とは思いましたが、真剣に考察することはありませんでした。僕はアインシュタインとの決定的な差をこの時初めて認めました。
相対性理論や光電効果において同じような偏執的な洞察と深い考察を見て取ることができます。その根底には「理解した」として終わりにしないというアインシュタインの独特のメンタリティーがあるのだと僕は思っています。
ひとかどの物理学者にとって「量子力学がわからない」と告白するのは極めて恥ずかしいことです。Natureの記事では1万1千人にアンケートを実施し、回答があったのは千人ちょっととあります。この千人の方々は、ちょっと恥ずかしいけどこの流れに乗れば恥ずかしい告白も目立たない、と考えたはずです。それこそが科学者の良心だと思います。ただ、回答しなかった90%の人々は心配です。
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