2021年6月18日金曜日

物理と微分方程式

 大学の物理って難しいよね!

ずいぶん昔のことだけど、大学に入って「物理学Ⅰ」という名の力学の講義を取ることになった。「Ⅰ」っていうくらいだから、物理学の最も基本という位置づけで、内容も一番簡単なはず。しかも必修科目だった。
僕は典型的な理系なので、物理とか数学とか得意な方でって言うか、高校では勉強が必要なかったくらい得意だった。だから、意気揚々と受講したんだけど、いきなり撃沈した。さっぱり理解できなかった。ヘンテコな解析力学の導入を視野に入れた内容だったので、ちょっと難しいというものあったのだろう。でも微分方程式がわからなくて、いろいろ納得できなかった。だから、僕はその年の単位の取得を諦めた。理解できないのに単位だけもらってしょうがないからね。
次の年も受講登録はしたけれど、微分方程式が解けなくて落第した。3年目で落第すると留年してしまうので、信念を曲げて納得のいかない答案を提出し、単位をもらった。屈辱だ。
というような経緯で単位の取れなかった科目はほかにもたくさんある。たいていは必修科目ではないので、単位を取らずに済ませたが、一部については涙を呑んで合格だけをもらった。

単位が取れ(ら)なかったのは、おおむね微分方程式に絡む科目だ。量子力学とかは必修科目ではないのでガン無視した。数学の微分方程式の科目もダメだった。幸い、それは別の科目で補填できた。僕にとって、微分方程式は鬼門と言えた。

微分方程式の解き方に関する話は、今では完全解決していて、一連のテキストを作成済みだ。学生時代に解決できなかったのは、それを教えていた教員の怠慢以外の何物でないと僕は思っている。というか、微分方程式の解法をちゃんと教えている人なんてほとんどいないと思うよ。

微分方程式の解き方の話はさておいて、本題は物理において微分方程式が頻出し、微分方程式を避けて通れないのはなぜか?という話だ。微分方程式なかりせば、理系学生の心はのどかけらまし。憎き微分方程式を駆逐することはできないのだろうか?

ネーターの定理

物理学の最先端では「大統一理論」が幅を利かしている。その大部分を占める「標準模型」はほぼ正しいことが示されており、物理学界隈は戦勝ムードにある。大統一理論や標準模型で重視されるのは「超対称性」という概念だ。こうした研究では、我々の住むこの「宇宙」に存在する「超対称性」を理解することがセントラルドグマ(中心教義)となっている。その超対称性がSU(5)というものらしい、というのが標準模型と呼ばれるものだ。何の話がさっぱり分からない。

宇宙の対称性と物理がどうして結びつくのかわからない。僕らが知っている物理の法則の多くは微分とか積分とかで記述される。先ほどの力学然り、電磁気学はベクトル解析記号を使ってエレガントに記述される。だから、微分方程式に苦労した僕は、学生時分は落ちこぼれだった。微分方程式ではなくて対称性の話だったらそんなに苦労しなかったかも?と思わずにはいられない。

しかしながら、そうは問屋が卸さない。20世紀初頭に活躍した女性数学者のエミー・ネーターは、1915年に「ネーターの定理」と呼ばれる有名な定理を発表した。それは対称操作と保存量の間に1対1の対応関係が存在することを保証するものだ。これは僕らが知る物理学の法則に様々な保存量が登場することの必然性を説明する。例えば、エネルギー保存則は、宇宙が持つ「時間並進対称性」を反映しており、時間並進対称性からエネルギー保存を導くことができる。時間並進対称性というのは、「いつ」実験しても同じ実験をしたら同じ結果が得られる、というずいぶん当たり前に思えることだ。難しい言葉では「再現性」として言及される。これを否定すると科学全体が成り立たない。そういう「当たり前」っぽい概念から直ちにエネルギー保存則が導かれるというのだ。
一方、「どこで」実験しても結果は変わらないというのは「空間並進対称性」であり、ここから運動量保存則が導かれる。また、どっちの方向を向いても実験結果が変わらないというのは「方位対称性」で角運動量保存則が導かれる。

こうした宇宙の対称性は、僕らが物理学でよく知る様々な保存則より根源的なものと考えることができる。保存則は一つ一つ個別に見つけて証明していく必要があるけど、宇宙の対称性は、それがわかりさえすればすべてを網羅的に調べつくすことができる。その点で、宇宙の対称性を明らかにする方が効率的だ。
現在の最有力候補であるSU(5)には一体どれだけの対称操作があるかは僕にはわからないけど、数学者ならすべての対称操作をあげつらうことができるだろう。それを専門とする物理学者ならそれらの対称操作の一つ一つから保存則を導き出せるだろう。だから、標準模型は超対称性の文脈で語られることが多い。

保存則の意味

保存則とは、「特定のパラメータを変更して変化しない量」という意味である。エネルギー保存なら、時間が変化してもエネルギーの総量は変化しない、という意味だ。だから、あるエネルギー$E$を考えて、その時間変化$\frac{\partial E}{\partial t}$が$0$とすれば、エネルギー保存の式になる。これはまさに「微分方程式」だ!

宇宙の対称性は保存則を与え、保存則は微分方程式を与える。だから宇宙を記述する「物理」の法則は、微分方程式になるのだ。物理に携わる限り、微分方程式から逃れられない!

さて、保存則は微分方程式を一つ与えるので、系の自由度は1つ減る。世の中にはたくさんの自由度とほとんど同じだけの保存則が存在するだろう。そうでなければ、自発的に定まらない自由度が存在し、もはやいかなる実験にも再現性が期待できないだろう。あるいは、不確定性原理のように決定論的に定まらない事象が無数に存在することになるだろう。
不確定性原理は極めて限定的であり、ほとんどの自然現象には不確定性はないように見える。だから、僕たちの住むこの宇宙には保存則と自由度がうまいバランスで存在しているのだろう。いや、保存則の数だけ「自由度が顕在化」し、この宇宙の保存則=対称性が多く存在することによって、僕たちの世界の複雑さが形作られているのかもしれない。

黄金の船が...おお おお おお!




2021年1月25日月曜日

コロナワクチン大作戦

 行政の無能さに腹が立つ

今日は2021年1月25日です。新型コロナの感染拡大は落ち着きを見せていますが、まだまだ予断を許さない状況です。そして、新型コロナ対策のラストリゾート(頼みの綱)、ワクチンが日本でも開始しそうです。
そこで、いろいろな問題が取りざたされています。問題点を整理すると以下のようになります。
①低温でのロジスティクス
②ワクチン接種会場
③ワクチン接種対象者の情報管理

大勢の人々が携わっており、いろいろな人が頭をひねっているのだと思いますが、大変だ、大変だ、という話ばっかりのようです。なんでこんなに知恵が出てこないのでしょうね。

①低温でのロジスティクス

ターゲットの温度は-80℃というものです。そもそもなんで-80℃なのか?ということに疑問を感じないのでしょう?-60℃でもなく、-100℃でもなく、-80℃なのです。

低温保管にはいくつかの基準温度があります。

冷蔵なら、5℃で、これは冷蔵庫での保管を想定しているという意味です。

冷凍なら-5℃と-20℃があります。-5℃は家庭用冷蔵庫の冷凍庫での保管を想定していて、-20℃なら業務用冷凍庫を想定しています。アイスクリームは-20℃保管です。

次の低温の基準が-80℃です。これはディープフリーザーという研究で使うような強力な冷凍庫を想定します。ディープフリーザーが-80℃に設定されているのは、ドライアイスの融点が-80℃付近で、実験室で手軽に安定して使える低温環境が-80℃というのが理由です。ドライアイスをメタノールに浮かべたドライアイスメタノール(通称ドラメタ)はちゃんと管理すれば、大掛かりな装置なしに1日くらい-80℃を保持できます。そのため、研究の現場では-80℃というのはよく使われる温度なのです。そのため、研究室から取って出し状態の最新のコロナワクチンの性能が-80℃でないと保証できない、ということで-80℃がコロナワクチンの保存温度とされているのだと思います。

もっと低温なのが、液体窒素の沸点である-194.5℃です。氷結というチューハイのブランドがこの温度をキャッチフレーズにしていますが、これは液体窒素で凍結した果物をすりつぶした、ということを宣伝しています。-194.5℃は冷凍技術でも作り出せますが、空気を圧縮後に減圧することで比較的簡単に作り出せます。空気を圧縮すると液体酸素と液体窒素が得られます。液体酸素はいろいろな需要があるのですが、液体窒素は冷却とか酸素の追い出しとか、比較的「お安い」用途しかありません。だから、安い液体窒素を使い捨てにできるので、液体窒素温度が保存用途に使われるのです。

ということで、輸送はドラメタを使えば解決するわけです。二酸化炭素中毒が怖いので、窓を開ける必要はありますが、普通の自動車で運搬可能です。これで、輸送拠点から津々浦々のワクチン接種会場までの輸送のめどが立ちます。そして、ワクチン接種会場での一時保存でも、ディープフリーザーは必須ではないとわかります。ドライアイス自体は2~3日持ちますからね。

②ワクチン接種会場

僕の子供のころはインフルエンザのワクチンを学校で集団接種してました。例のB型肝炎を蔓延させた原因のやつです。

学校の体育館にリノリウムのシートを敷いて、子供たちが一列か二列にならんで、順にワクチン注射を受けました。集団でのワクチン接種はなくなりましたが、似た光景は今でも時々目にします。選挙です。

選挙の投票所のレイアウトはワクチンの集団接種にそのまま流用できます。
個人の認証・チェック(簡易の問診)・投票(消毒と注射)と対応させることができます。ワクチン接種の場合は10~20分程度の経過観察が必要になります。
ご存知のように、多くの投票所は小学校や中学校に設定されています。なので、教室はたくさんあるのです。それを活用すれば経過観察の時間を十分にとることができるでしょう。

選挙の投票所は18才以上の全国民を1日で処理できるように全国津々浦々にきめ細かく設定されています。コロナワクチンの対象者は16歳以上の全国民ということなので、場所と処理能力は十分のはずです。

「ワクチン接種会場は選挙の投票所を標準とする」と基本方針を打ち出せば、役人たちはすぐにイメージできて、滞りなく準備できるでしょう。そういうのは彼らの得意とするところですからね。

③ワクチン接種対象者の情報管理

ま、これも基本的に選挙でやってますからね。
ちょっと前までは紙の台帳を使ってましたが、今は電子化されています。
選挙のはがきにあるバーコードを機会にかざすと、投票済みかどうかのチェックと、本人確認のための情報が画面に表示されるようになっています。

ワクチン接種対象者の情報管理システムは、もう存在するのです。心配はいりません。

選挙の時と同様、はがきを送り、そこに接種会場と日時と個人確認用のQRコードを書いておくのです。ついでに問診表入力用のQRコードも書いておくとよいでしょう。問診表をあらかじめ入力しておけば、現地での手続きを簡素化できます。

選挙は日曜日なので、学校は休みですが、ワクチン接種は日曜とは限りません。なので、当日、会場となる学校は休みにする必要があります。でも、それはそうすればよいだけの話。子供たちには悪いけど、振り替えで土曜日や日曜日に学校に行ってもらえばよいのです。あらかじめ予定しておけば、子供たちも対応可能なはず。やれない理由をあげつらうより、やれない理由を分析してつぶすことを考えた方がよい。反対意見が出た時には、それを肯定し、理由を説明させ、「理由がわかっているなら、その理由を一番よく理解しているあなたが解消法を考えてください」と返すのがよい。これで反対意見はすべてつぶせます。

愚直な方法を選びがちな行政

兵は拙速を尊ぶ、ということわざがあります。戦争などの非常時には、まず行動することが大事である、という教訓です。それは時間がないときの行動指針であり、十分な時間があるときは、たとえ軍隊であっても拙速は悪手です。例えば、兵站と呼ばれる軍需物資のロジスティクスは、戦略上の要であり、最重要項目です。兵站では拙速は最も避けるべき行動原理です。

僕は以前、公務員宿舎に住んでいていて、近所に住む公務員の皆さんと交流がありました。その時、公務員の皆さんの行動原理にびっくりしました。公務員の皆さんは、行為とその目的を分離し、行為の完遂を直接的に目指します。その際、目的が達せられるかどうかは二の次になります。行為の途中に目的を毀損しても、意に介さないのです。
それはある意味、組織における効率的な行動原理です。個人の受け持ちにおいて「損」が発生しても、それを補うだけの「益」が全体として得られるなら、自分の受け持ちにおける「損益」は関知する必要がない、という立場です。
官僚機構というのはそういう人たちの集まりで、生身の人間で構成されているものの、ひとつの機械・装置とみなすべき存在です。構成要素である公務員の皆さんは、ねじや歯車のようなもので、一個のねじや歯車の働きから装置全体の効率なんて議論できないように、個々人の仕事の「損益」が全体の「益」に資するかどうかは知る由もありません。むしろ、自分の「益」を重視するあまり、全体に「損」が及ぶのは最も避けるべきことです。だから、指示された「仕事」にきっちり取組むことが最優先で、それは自分の仕事の成否よりも大事なことなのです。

もちろん、リーダーがこんな行動原理ではダメです。リーダーは官僚機構のこうした特性をちゃんと理解して、それを効果的に活用することを心掛けねばなりません。