僕はイスラエルとユダヤ教が嫌いです
嫌いなものは嫌い。ポリコレなんてガン無視です。イスラエルという国と、ユダヤ教という宗教が嫌いであって、イスラエル人やユダヤ教徒が嫌いというわけではありません。変な人たちが多いという印象がありますが、別にケンカしたことないですよ。
イスラエルという国の名前は小学生のときから知ってましたが、どんな国かは知りませんでした。中学生くらいの歴史の授業で、ナチスドイツによるユダヤ人の虐殺があって、そういう悲劇が繰り返されないように、ユダヤ人が集まって作った国がイスラエルだと教えられたような気がします。
大学時代は、研究室にユダヤ人がいたりして、流浪の民的なのかなって思ってみていたけど、全然普通でした。
ポスドク時代にアメリカの研究室を訪問したとき、その研究室のボスの婚約者がユダヤ人で、研究室メンバーにはパレスチナ人がいて、みんなで仲良く晩御飯を食べました。その時、イスラエルでパレスチナ人が苦労しているという話題になったけど、ユダヤ人女性は心を痛めていると言ってましたし、パレスチナ人青年も将来は立派になってパレスチナに貢献するんだと希望を込めて語っていました。今どうなっているのか知らないけど。
ポスドクに行く前に僕の周囲では僕をテルアビブに送るという話があったみたいです。もし、その時その話を受けていたら違う人生だったんだろうな。でも当時のテルアビブはテロとか暗殺とかあってかなり治安も悪かったんだよね。
イスラエル国外にいるユダヤ人やパレスチナ人は仲良く生活できているのに、イスラエル国内は真逆の状態です。なんでこんなことになるのかと考えたとき、悪いのはイスラエルという国とユダヤ教なんだと思いいたりました。
イスラエルという国の成り立ちと国是
ナチスドイツのユダヤ人虐殺の反省に立ち国連主導という形で成立したのがイスラエルです。でも、実際はもっと紆余曲折がありました。第二次世界大戦でいろいろ窮地に立たされていた英国が方々に口約束をしまくった結果、その約束の大半を守れなくなりました。そういう約束の中に「ユダヤ人の国を作る」というものも含まれていました。場所はユダヤ教の重要な伝説的な約束の地、カナン、ということでした。伝説によればカナンというのは現在のイスラエルのあたりということになるのかもしれませんが、伝説なので実際の場所というわけではありません。だから、場所がどこでもよいのなら大丈夫だろう、というのが英国の解釈で、でもユダヤ人たちは現在のイスラエルだと思ったわけです。当時その場所にはパレスチナ人たちが住んでいましたから、そんなところにユダヤ人の国を作るのはかなり無理があったわけです。
パレスチナ人の土地にユダヤ人の国を作るというのは難しいので、別案になりそうだったわけですが、ユダヤ人たちは激怒します。ユダヤ教において約束や契約は命を懸けて守るべきものなので、ユダヤ人たちは決して譲りませんでした。世界大戦で経済が疲弊していた国々を札びらでひっぱたいていうことを聞かせたのです。妥協案として国連主導でユダヤ人とパレスチナ人が共存する国としてイスラエルを新しく作る、としたのです。
建国に当たっては国としての理念を策定するのですが、ここでユダヤ人たちは悪名高いシオニズム憲章というのを持ち出します。当時すでに米国は経済をユダヤ人に握られており米国はユダヤ教徒たちの傀儡でしたからその後押しもあって、シオニズム憲章を通す形でイスラエルを建国してしまいました。これが悲劇の始まりでした。
シオニズムというのはユダヤ教とユダヤ教徒の理想を語る思想であり、それを明文化したものを俗にシオニズム憲章なんて呼んだりします。ユダヤ人の土地を取り返すとか、アラブ人を追い出さないといけないとか、そういったことがあります。で、明文化したときにどこからどこまでユダヤ人の土地か、みたいなことも述べてあり、それはほぼ現在のイスラエルとレバノンの一部(ゴラン高原)のすべてになります。そのシオニズム憲章に従って、周辺国と戦争し、パレスチナ人を締め出して、国土を整備しているのがイスラエルという国です。なぜそんな無体なことができるのかというと、シオニズム憲章がイスラエルの憲法に組み込まれているからです。イスラエルが独立した法治国家である限り、パレスチナ問題は絶対に解決しないのです。
イスラエルという国
とはいうものの、こうした排他的な思想を国是とする国も多くあります。身近なところでは韓国と北朝鮮は互いに互いを敵国とする憲法?法体系?を持っています。どちらもいい加減な国なので、その時々の指導者によって態度がころころ変わりますけどね。でも両国ともに戦争状態という建前です。しかしながら、実力行使はしません。国是として敵国認定条項があったとしても、実際に攻撃とかするのはあり得ません。ところが、イスラエルは違います。周囲のアラブ国を敵とみなし、機会を見つけては戦争します。自国内に住むパレスチナ人を弾圧し、アパルトヘイトを敷いています。この21世紀にアパルトヘイトを続けている国はイスラエルだけです。
イスラエルは自国が攻撃された時のみ自衛のために反撃するのだ、という口実を使います。しかし、イスラエルには悪名高いモサドがあります。モサドはアメリカのCIAと並んで有名な諜報組織です。そして世界で最も非合法手段に忌避感を持たない組織でもあります。おそらくモサドは世界で最も暗殺を多く実行している組織です。イスラエルがかかわる戦争のほとんどはモサドの裏工作が発端だと言われています。他国がイスラエルにテロを仕掛けたように見せかけるのです。あるいは、イスラエルの犯行であることがこっそりわかるように(しかも証拠は残さないように)要人暗殺をするのです。すると、報復のためにイスラエルへの攻撃が始まり、イスラエルは正々堂々と反撃するのです。誰が悪いかというとモサドですが、モサドは非常に優秀な諜報組織で尻尾をつかませません。とても厄介な組織なのです。
イスラエル軍にはある特徴があります。イスラエル軍の役割の中にパレスチナの武装組織の鎮圧があります。長い争いのためにパレスチナ人たちは生まれた時からイスラエルへの恨みを持ちます。身内の一人くらいは必ずイスラエルに痛い目にあわされているのです。だから、パレスチナ人は全員イスラエルに反感を持っています。そして、彼らは潜在的な反イスラエル勢力なのです。
パレスチナの武装組織は一般市民と区別がほとんど尽きません。拠点も民家だったりします。イスラエル軍はそういった場所に突入するわけです。そこは武装組織の拠点ではない場合もあります。だから、普通の国の軍隊は、突入時に反撃されたら容赦なく攻撃しますが、反撃がなければとりあえず拘束します。しかし、イスラエル軍ではまず射殺するように訓練されます。今回のガザの件でも、人質をイスラエル軍が射殺する事件が発生していますが、報道されているのはごく一部だと思います。
そういうイスラエル軍に対処するため、パレスチナ人たちは「死んだフリ」をすることがあります。隠れて死体を装うのです。しかし、それは武装組織もわかっていて、死んだフリからの反撃ということも行います。そのため、イスラエル軍は死体を見つけたら、近づく前に3発銃弾を撃ち込むように訓練されます。こんなことをする軍隊はイスラエルだけです。かれらはイスラエル人以外ゴミだと思うように教育されているのです。
もう、こんな国ない方が良いよね!と僕は思うのです。
ユダヤ教とユダヤ教徒
僕がユダヤ教を初めて学んだのは高校生の時です。僕の高校は仏教系の学校で、宗教の時間というのがありました。基本的には仏教のことを学び、座禅とかをするのですが、仏教徒である必要はありませんでした。そういうこともあって、いろんな宗教のことも学びました。もちろん、仏教が一番多かったですけど、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教など世界の四大宗教は比較的多く学びました。
キリスト教の成り立ちや歴史を学ぶ際にユダヤ教は避けて通れません。キリスト教の聖典の一つである旧約聖書はユダヤ教の聖典だからです。キリストの生まれる前に活躍したモーゼは当然ながらユダヤ教徒ですからね!モーゼはキリスト教徒ではないのです。絶対に!そして、キリストの両親もキリスト教徒ではありません。のちに改宗しているかもですが。そして、告知天使もキリスト教徒ではありません。神の使いなので!そういうことを言うとキリスト教に怒られそうだけど、しょうがないよね。論理的帰結なんだから。
というわけで、キリスト教を学ぶついでにユダヤ教も学びました。ユダヤ教というのは、比較的規模が小さいので、細かい戒律が存在します。宗教というのは規模が大きく大衆化する過程で戒律が整理され、ヘンテコな戒律は削除されていくのが普通です。ですが、ユダヤ教はそのようなプロセスはありませんでした。なぜなら、ユダヤ教は布教をしないからです。
ユダヤ教では改宗してユダヤ教徒になれるパターンは、ユダヤ教徒の夫を持つ女性のみです。ただし、歴史の中で一度だけこの原則に従わなかったことのあります。ユダヤにルーツを持たないロシア系ユダヤ人の始まりと言われています。そのたった一度の例外以外、ユダヤ教への改宗が認められたことはありません。
ユダヤ教では、朝起きたら顔を洗って歯を磨く、とか生活の細かな行動まで戒律の中に定められています。順番も決まっています。働く時間や休む時間も決められています。これはイスラム教と同じ感じですが、ユダヤ教の方が厳密なんじゃないかな。そして大事なのが契約や約束を決してたがえてはいけないという戒律があることです。
改宗という概念がなく、厳格な戒律が存在することは、ユダヤ教が非常に強固で閉鎖的なコミュニティーを形成する大きな要因になっています。一方で、ユダヤ教は戒律の中に勤勉さを組み込んでいます。そのため彼らはコミュニティーのために懸命に働きます。そのため、ユダヤ人は商売上手です。そして契約をたがえないという信用があるため、商売相手としては理想的です。ただ、あまりに契約重視であるために、問題も起きます。それを取り扱った有名な戯曲がヴェニスの商人ですね。
このかたくなまでの契約・約束重視の姿勢が、「約束の地」への固執につながり、パレスチナ問題となっているのだと思います。
すべての世界宗教に共通するのは安心安全で平和な世界への祈りです。でもユダヤ教にはその発想はありません。そもそもユダヤ教には改宗という概念がないので、世界は、ユダヤ教徒とそれ以外で、成り立っています。ユダヤ教はユダヤ教徒以外のことに全く関心がないという宗教なので、ユダヤ教とそれ以外の対立的な構図で世界をとらえることになります。ユダヤ教にとってユダヤ教以外の世界は、「お金」という資源を供給する鉱山みたいなもので、ユダヤ教徒以外は別の生き物という認識です。ユダヤ教には選民思想(ユダヤ教では救済が約束されているのはユダヤ教徒のみ)があるので、ユダヤ教徒以外は家畜かなんかだと思っているかもしれません。酪農家と乳牛みたいな関係?
ユダヤ教徒と統一教会
ユダヤ教徒は集めた金を政治に投資しています。いわゆる政治献金というやつです。政治献金に対して良いイメージのあるアメリカではユダヤ系の献金がじゃぶじゃぶになってて、ユダヤ教に有利な政策がほとんど無制限に行われています。イスラエルが好き放題している背景には、アメリカの政治がユダヤマネーで牛耳られているという事情があるのは有名です。
金を集め、政治に投資するという構図は、実は統一教会と似ています。ユダヤ教と統一教会の違いは布教があるかどうかと、寄付を教会が一括して運用する点です。政治献金はユダヤ教徒たちが自主的に直接行うのです。それはユダヤ教が古い歴史をもつことによるノウハウなのでしょう。一方、統一教会は新興であり、政治への働きかけを急速に進める必要がありました。そのため、ノウハウを持たない一般の教徒の代わりに、教会が半ば強制的にお金を集めて運用していたのだと思います。以前は統一教会は布教に関しても問題を起こしていましたが、最近は布教に関する問題はほとんど聞きません。コミュニティーが閉じつつあるのでしょう。それは統一教会のユダヤ教化を意味している気がしています。
新興宗教が生き残るにはいくつかのハードルがあります。持続的な資金運用、宗祖・指導者の取り扱い、社会的な認知、教徒の獲得(布教)といった事柄です。布教活動を強めると社会的に排斥されるので、布教活動をやめるという選択肢があります。布教をやめると産めよ増やせよとしないと教徒が減少します。なので、ユダヤ教では避妊しないことと多産が教義として存在します。統一教会も合同結婚式で出産の確率を上げ、多産を推奨しています。多産すぎると経済的に破綻するので、ヘンテコな養子あっせん制度があります。問題になってましたけど。統一教会は布教をあきらめて社会的な認知を固定し、ユダヤ教化しているのです。
おそらく、統一教会は政治献金を継続しながら、ユダヤ教のように社会に浸透するのだと思います。ユダヤ教は歴史が古いので、問題を起こさないノウハウを持っていますが、統一教会はそうではありません。多分、あと100年くらいしたら、入信という制度をやめるんじゃないかな。
ということで、僕は統一教会も嫌いです。