天才の定義にまつわるあいまいさ
何を以て天才とするかというのは、人によって異なります。なぜそういうことが起こるのでしょうか?普通の人は、自分が出会った中で最も優秀な人を「天才」と形容するかもしれません。あるいは、自分が見聞きしたなかで、最も優秀な人を「天才」と形容するかもしれません。また、分野ごとに「天才」を定義することができるでしょう。いずれにしても、特定の分野で希少な「良い」能力を指すのが、「天才」という言葉です。「希少」ということは、統計的に出現確率が低い、ということです。「特定の分野」というのは、条件付き、ということです。つまり、「天才」という形容を、統計学的に見てゆくことで、基準が見えてくる、というの本論の趣旨です。
偏差値とチェビシェフの不等式
確率のことを考えるときに非常に便利な定理があります。それはチェビシェフの不等式と呼ばれるものです。ある事象Xについて、Xの標準偏差がσ、平均値がμだったとします。その時の確率について、
$P \left( | X-\mu | \le k \sigma \right) \le 1 / k^2 $
が成り立ちます。この式にいくつかの仮定を加えて計算すると、偏差値が10上がると、出現確率がおよそ1/10になるという簡単な法則が導かれます。逆に、数値化できない事象でも、出現確率を考えることで、偏差値に割り当てることができます。すなわち、ある確率Pの事象の偏差値は、
$50- 10 \log{P} / \log{10} $
が成り立ちます。この式にいくつかの仮定を加えて計算すると、偏差値が10上がると、出現確率がおよそ1/10になるという簡単な法則が導かれます。逆に、数値化できない事象でも、出現確率を考えることで、偏差値に割り当てることができます。すなわち、ある確率Pの事象の偏差値は、
$50- 10 \log{P} / \log{10} $
となります。
例えば、高校野球の場合、高校3年生の競技人口はおよそ5万人。一方、プロ野球のドラフト会議の指名選手はおよそ100名。ざっくり計算すると、プロ野球選手になるのは、500人に一人の確率になります。すると、おおよそ偏差値が77ということになります。野球の能力というのは数値化しにくいものですが、確率から類推することで、偏差値を推定でき、分野が異なったとしても、同じ尺度で議論できるようになります。
偏差値には、条件付き確率を考える際にとても便都合の良い性質があります。非常に大きな集団があり、その集団の一部での偏差値がAとします。部分集団の平均値から計算させる集団全体における偏差値をBとすると、集団全体での偏差値は、
$(A-50)+(B-50)+50=A+(B- 50) $
と推定できます。
この性質は、高校での定期テストの偏差値を、全国模試に対応させる、といったことを可能にします。高校での定期テストというのは、特定の高校内にとどまり、全国的なテスト結果と直接比較できません。そこで、高校生たちは、全国規模の模試を受けます。
実のところ、全国模試では、特定の高校の生徒の平均値というものが、その高校にこっそり送られてきます。高校はそこから、自分の高校の全体での偏差値を見積もります。多くの生徒の平均値なので、統計的に安定しており、模試ごとの変動というのはそれほど多くありません。学校平均の偏差値が55だったとします。一方、特定の生徒の定期テストでの偏差値が60だったとします。定期テストは模試よりも頻繁に行われるため、生徒の成績の変動を見るにはよい方法ですが、毎回基準が変動するため、大学入試の参考となる全国規模の成績判断には使いにくいものです。しかしながら、偏差値のもつ性質を使うと、その生徒の全国基準の偏差値は、60+(55-50)=65と推定されます。これによって、その生徒の成績の変動を全国基準で議論可能になります。これは特定の高校という条件の付いた成績と、そういった条件がない場合の成績の相互変換を提供する一般的な方法です。
実のところ、全国模試では、特定の高校の生徒の平均値というものが、その高校にこっそり送られてきます。高校はそこから、自分の高校の全体での偏差値を見積もります。多くの生徒の平均値なので、統計的に安定しており、模試ごとの変動というのはそれほど多くありません。学校平均の偏差値が55だったとします。一方、特定の生徒の定期テストでの偏差値が60だったとします。定期テストは模試よりも頻繁に行われるため、生徒の成績の変動を見るにはよい方法ですが、毎回基準が変動するため、大学入試の参考となる全国規模の成績判断には使いにくいものです。しかしながら、偏差値のもつ性質を使うと、その生徒の全国基準の偏差値は、60+(55-50)=65と推定されます。これによって、その生徒の成績の変動を全国基準で議論可能になります。これは特定の高校という条件の付いた成績と、そういった条件がない場合の成績の相互変換を提供する一般的な方法です。
この方法は、勉強以外にも適用可能です。再び野球を例にとると、高校三年生はおよそ100万人なので、野球部員である確率は20人に一人であり、形式的な偏差値は、およそ63です。野球部員の中でプロ野球選手になるときに偏差値73なので、一般の高校生がプロ野球選手になる時の、偏差値は77+(63-50)=90となります。これはおよそ1万人に一人の確率であり、それは高校三年生の人口とドラフト指名人数の比に一致します。
ここから、ある条件を考慮する場合は、その条件の偏差値(から50引いたもの)をどんどん足したり、引いたりすればよいことになります。条件の種類は、不問というところがポイントです。野球の場合、女子は対象から外すとすると、母集団はおよそ半分になります。それは偏差値を-3することに対応します。なので、男性の中では、プロ野球選手の偏差値は87と推定されます。
今まで出会った中で最も優秀
「天才」の基準のひとつに、今まで出会った中で最も優秀という基準があります。この基準の偏差値を推定してみましょう。この場合、今まで出会った人の数を知る必要があります。その数は、当然単調増加であり、年齢を経るごとに増えてゆきます。なので、中学校の頃に天才と感じた、というのと、高校の頃に天才と感じるのでは違ってきます。中学校くらいだと、直接出会うのは、500人くらいかな、と思います。高校になると、2000人くらいにはなるかもしれません。その中で最も優秀という基準で偏差値を考えると、中学生で77、高校生で83になります。しかしながら、年齢による差を考えて能力を勘案すべきだと考えると、同学年、あるいは、±1年の3歳の範囲を抽出すべきかもしれません。すると、対象人数は、それぞれ半分くらいににはなるでしょう。すると、偏差値だとー3して考えるべきで、中学生で74、高校生で80となります。
どのくらいの偏差値かというのをイメージするために、テストの成績で考えてみます。今は、1クラス30名程度なので、クラスで1番というと偏差値は65くらいになります。常にクラスで1番か2番という成績でも、74や80には足りません。65と74の差はおよそ10なので、10クラスに一人というくらいの成績が必要になります。小さな学校だと、学校全体で一番勉強ができる、くらいが偏差値74です。なので、直接出会って話をするかどうか、というくらいの希少さに対応し、中学生くらいだと、偏差値74くらいで、「天才」という形容になります。
高校生だと80が基準になります。65との差は15なので、30クラス集めて、そのトップというくらいのレベルです。それは、普通の学校にいるかいないか、どっちかといういない、みたいなレベルになります。つまり、近隣の学校を合わせた中で、1番みたいなレベルを称して「天才」と感じるわけです。個人競技だと、市や区の大会で優勝するレベルというとわかりやすいかもしれません。この考察は、結構いい線いっていると思います。進学校だと、学校平均の偏差値が70くらいまで行きますので、有名進学校のトップは「天才」ということになります。
高校生くらいまでは、同年齢くらいが「天才」の評価対象ですが、大学あるいは一般になると、対象年齢に制限がなくなります。つまり、偏差値は+3されます。また、母集団も高校時代の倍くらいになるので、これでも偏差値は+3になります。したがって、高校生の基準+6の86が「天才」の基準になります。勉強のテストで考えると、偏差値86は全国トップのレベルです。それは、一般的に考えても、「天才」と呼んで良い気がします。ちょうどプロ野球選手の推定偏差値に一致することから、プロ野球選手は知人たちにとってすべからく「天才」という評価になると思います。
天才は何人いるかという基準
「個人的に出会った中で最も優秀」という基準での「天才」は、偏差値86ということになりますが、これはおよそ4000人に一人であり、日本の人口を1億とすると2万5千人もいる計算になります。これは「天才」の客観的な基準としてかなり甘いということになります。このあたりが「天才」という形容のあいまいさの根源だと思います。じゃ、日本で10傑という基準にすると、10^7人に一人ということになるので、偏差値は120(50+7x10)と推定されます。しかしながら、「天才」というのは分野ごとに考えるというのが普通です。例えば、イチローは野球については天才ですが、勉強については天才ではありません。そこで、分野の数を大雑把に100くらいとすると、偏差値は-20されて、偏差値100が全国に10人くらいのレベルの「天才」です。いわゆる「トップクラス」という表現がぴったりです。その中で、「トップ」となると、+10になるので、偏差値が110くらいとなります。
勉強のテスト偏差値100を達成するのは、ほとんど不可能です。というのも、ほとんどの場合、満点であっても偏差値100には届かないからです。僕は一度だけ偏差値が100あったのですが、その時の平均点は100点満点で20点、標準偏差が10点。そのテストで70点でようやく偏差値が100という感じでした。100点満点で平均点が20点というテストは、はっきり言って、テストになってません。そのような極端な場合にしか高偏差値は出現しないのです。だから、勉強のテストにおいて、そのような偏差値をみることはないし、そのような偏差値の人にであうことも、まずありません。もっと言えば、同年齢でそのような人を探すことも無理かもしれません。それは例えば、10年に一度の逸材という表現がぴったりです。しかしながら、その言葉は、濫用傾向にあります。
ちなみに、1億人でトップだと偏差値130相当ですが、これは現在生きている人全部ということになります。野球の場合は、現役以外も含めます。だから、イチローの偏差値は、もうちょっと低くなります。現役の期間は全人生の5分の1としましょう。すると、偏差値は−7になるので、123というのが野球で現役トップという偏差値になります。プロ野球選手はいろいろ入れて、800名くらいなので、その中のトップと計算すると、90+29=119となります。90という偏差値は母集団に女子も含めた値です。誤差は4で、異なる根拠で見積もった偏差値であることを勘案すると、良い一致だと思います。なので、120くらいがプロ野球のトップの偏差値と考えてよいでしょう。
ここまでは、話を日本に限ってましたが、科学の分野は国際化しており、母集団として世界を考えなければなりません。世界人口を75億=10^9.7とします。その場合のトップは偏差値が147になります。そのうち、現役は半分くらい(-3)、さらに、教育が行き届いているのは4分の1くらい(-6)、また、科学の分野は細分化されており、分野の数をざっくりと500くらいに想定する(-27)とします。トータルで、111となります。これが科学の世界における「天才」の基準だということです。
科学の世界における主役は学者です。学者は難関の大学入試をクリアし、さらに大学でセレクションされ、博士号を取り、運よく職を得た人たちです。そのセレクションを考察することで、学者の偏差値を推定することができます。
僕の例を挙げると、当時の京都大学工学部の偏差値は70~75、40名のクラスで毎年4名程度が博士号を取得し(+10)、3分の1(+5)くらいがアカデミックポストを得ます。トータルで、偏差値が85~90くらいになります。京都大学理学部は偏差値が高いことで有名で、85とされています。そのうち、半数が博士課程に進み(+3)、さらに半数がアカデミックに残ります(+3)。すると偏差値91になります。京都工芸繊維大学の偏差値は60くらいで、30名に一人が博士号を取得し(+15)、さらにアカデミックポストに残るのは10人に一人(+10)です。この場合、偏差値は85相当になります。
これらの例から、学者というのは、85~90の偏差値に相当するということが分かります。一流(世界クラス)の学者というのは5人に一人くらい(+7)で、さらにトップとなると5~10%くらいでしょう(+10~17)。トータルすると、102~114となります。世界基準の科学の「天才」は111と推定しましたが、おおむね同じ値になります。
さて、これは「現役」という条件を課していました。しかし、科学の世界に名を残すほどの「天才」というのは、さらにセレクションを受けます。どの教科書に名前が出てくるレベルの「天才」の偏差値はさらに+20(100人に一人)くらいでしょう。
知能指数を基準にした天才
知能指数をもって、「天才」の基準とするのはわかりやすいものです。じゃ、どのくらいの知能指数で「天才」となるのでしょう。知能指数の統計にはいくつかの流儀があって、それぞれちょっとずつ値が違います。最も一般的ではっきりしているのは、知能指数+15が偏差値+10に対応するというものです。知能指数120でかなり賢いとされていますが、これは、偏差値で63くらいに対応し、クラスで一番、というくらいです。確かに、「賢い」という基準でしょう。知能指数が140に達すると、特別な教育を施すべきだという意見があります。偏差値に換算すると、77くらいで学校で1番くらいの基準です。
逆に、科学の天才というのは、偏差値が111ということなので、知能指数に換算すると191になります。実測された知能指数の世界記録は200くらいなので、知能指数でトップクラスなら、科学の天才であっても、さもありなんという感じです。
ただし、知能指数というのは、分野を限定しない単独の指標です。単一分野で競った時の偏差値は、ガチの偏差値ですが、多数の分野を想定した偏差値は、分野の数の定義があいまいなので、割引いて考える必要があります。例えば、学者の偏差値は90くらいと推定され、知能指数160に相当するものの、実際の知能指数が160もあるかというと、疑わしいと思います。知能指数は、テストの領域が狭いので、偏差値で考えた方が、汎用の評価基準として、適切だと思います。
まとめ
概ね、偏差値100以上というのが広く通用する「天才」の基準として、おおむね納得できるかな、と思います。それは10万人に一人という確率であり、直接的な知り合いの中に見つけることを期待できないというレベルです。だから、「天才」という形容を使うとき、「出会った中で一番優秀」という基準は、相当に甘いということがわかります。そういう意味での「天才」は、偏差値がせいぜい80くらいで、その100倍すごい人でないと、「天才」としては恥ずかしいね、ということです。
ほんとのところ、僕は本論で行ったような計算が大好きなだけなんです。ごめんなさい。