避難訓練とマニュアル
僕の最初の職歴はERATOのプロジェクトの研究員でした。そのころのERATOは大学の研究室と完全に分離するという基本ルールを忠実に守っていたので、僕たちは、真新しい貸しラボで研究室を立ち上げました。一応、大学ではないので、一般企業と同じように徹底した安全管理が適用されます。なので、危機対応マニュアルというのが作成されました。この部分はどっちかというとお役所的な作法でした。そのマニュアルというのがすごく細かいのです。僕は辟易しました。
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この本の著者のうち、非常事態の経験者は何人いるのだろう。 |
危機対応は非常事態の経験が必要だと思う
今も変わらない僕の信念として、非常事態に対応するには、非常事態に直面した経験に勝るものはない、ということがあります。非常事態の経験のない人が、非常事態を空想して作成した危機対応マニュアルというのは、ほとんど役に立たないと思うのです。それは、僕の経験に基づく信念です。僕はいままで火事の現場に2回居合わせたことがあります。どちらも実験室での火事で、見事な火柱が上がってました。最初の火事体験
最初の体験は、修士2年生だったと思います。土曜日でした。僕は今も昔も土曜日と日曜日はしっかり休むのですが、その日はたまたま友人がラボに来たいということで、友人の都合で土曜日にラボにいました。ラボにはほかに人はいなくて、廊下もとても静かでした。でも突然、非常ベルが鳴り響きました。急いで廊下にでると、長い廊下の天井を白い煙が這ってました。薬品の匂いがしました。僕は部屋に戻って扉を閉めました。最初に思ったのは、「どうやって逃げる?」でした。友人に他の研究室での火事であることを告げましたが、それ以外、頭が真っ白になって、身動きできませんでした。
意を決して逃げることにしました。ラボは2階だったので、階段に向かいました。すると、「火事はどこだ?消火器もってこい!」と叫びながら何人かの人が駆けていきました。よく見ると、みんな消火器を抱えてダッシュしていました。それで僕も研究室に戻って、消火器を持ち出して、みんなが走ってゆく方向に向かいました。
そこで僕が見たのは、天井まで届くピンク色の火柱と、次から次へと消火器をぶっ放す白衣を着た男性でした。その周りには、たくさんの使い終わった消火器が転がっていました。傍らには、まだ使っていない消火器が並べてあって、僕は持ってきた消火器を隣に並べました。
すでに空になった消火器の数からすると、非常ベルの少し前から消火活動が行われていたと思います。僕が躊躇していた時間もあるかもしれません。僕は何もできなかったことを恥じました。
消火活動の甲斐あって、その火事はしばらくして鎮火しました。気が付くと外では消防車の音が鳴っていました。火元は試薬等を保管しておく古い冷蔵庫で、あまりに古くて壊れてしまったそうです。庫内の温度が上昇し、不安定な薬品が爆発したと後日聞きました。化学系の研究室では20年に一度くらいはボヤ騒ぎがあるものです。その時の火事は幸い、致命的なものにはなりませんでした。
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火事になったらこんな奴がたくさん必要 |
火事の体験から学ぶ
この火事でいくつかのことを学びました。1.いざ非常事態になると、頭の中が真っ白になる。
2.消火器1個では火は消えない。
3.消火器の噴霧は2~3秒と短い。
4.僕は消火器の使い方がわからない。
5.薬品系の火事だと、消防が介入しない。
6.自分の不注意とかに関係なく、事故は起こるし、巻き込まれる。
7.消火器の中身は、ピンク色の粉で、掃除が大変。
2~4は消火器のことです。火事になると頼りは消火器です。でも当時の僕は消火器を使ったことがありませんでした。だから、使い方は知りませんでした。消火器には、ストッパーがあって、そのままではレバーを握れず、消火できないんですよ!
そして、消火器をたくさん使わないと火は消えないのです。家庭では、1個の消火器で消えなければ、逃げるような指導になっています。それで消える火事って大したことないです。そして、消火器って2、3秒しか噴霧しないんです。すぐ終わりになります。射程距離もとても短いのです。そういうことって、消火器を使った経験がないと、なかなかわかりません。
とても印象に残っているのは、消防車は来ていたのに、消火活動は行われなかったことです。火事は2階の階段横の部屋で起こりました。消防車は1階の階段下まで来ていました。鎮火した後、階段を下りると、消火用のホースが展開されてました。見ると、火事元の研究室の先生と消防士が立ち話(事情説明)をしていて、「化学系の火事の時は、水をかけると危ないことがあるので、(消火に)入れないんですよ~」みたいなことを話していたと思います。また、「火元は古い冷蔵庫」みたいな話もしていました。その時初めて、僕らの世界では、消防を当てにできないんだということを知りました。
危機管理において極めて重要な事実として、どれだけ管理を徹底しても、避けられない事故があるということを忘れるべきではありません。僕が遭遇した火事は、隣の隣の研究室の出来事です。僕は当時学生だし、隣の隣の研究室なんて、ほとんど入ったこともありませんでした。でも、火事に巻き込まれるわけです。僕がどれだけ努力しても火事を防ぐことはできませんでした。冷蔵庫が故障したのは古かったのが理由の一つですが、新しくてもある確率で故障します。爆発を防ぐために、防爆仕様が理想ですが、それでも反応で生じたエネルギーはどこかに逃げねばなりません。爆発のタイミングが遅れ、より大きな爆発を生じた可能性もあります。そんな危険な薬品を保管するのは問題ですが、一時的な保管だったかもしれません。どれだけ対策をして手間とお金をかけようとも、事故の確率をゼロにはできません。まして、自分たちの手が届かない原因もあります。研究内容が素晴らしすぎて、研究室がテロの対象になるかもしれません。そういう可能性は常にゼロではないのです。だから、いくら手を尽くしても、非常事態は発生しうるのです。そして、自分が関係なくとも、非常事態に巻き込まれることがあるのです。
これは、危機対応マニュアルが完成したから安心、という考え方を否定しなければならないことを意味しています。危機対応マニュアルは、自分たちが責任のある事態に対して作成されます。したがって、もらい事故に関しては、危機対応マニュアルではカバーしきれないのです。それでも危機対応マニュアルを作成することには意味があります。危機対応手順を作る過程で危機対応に対する考え方が吟味され整理されます。そのプロセスがとても大事だと僕は思います。特に、優先すべきことと後回しで構わないことを整理してプライオリティーをはっきりさせることが大事です。非常事態では時間的に追い込められることが少なくありません。限られた時間の中で、効率よく対応するには、正しい優先順位を理解しておかねばなりません。また、非常事態に直面した全員に指示を与えることは困難なので、個々の構成員は自分の判断で動くことが求められます。そのためには、全員が危機対応の考え方をしっかりと理解せねばなりません。実際のところ、危機対応マニュアルは危機管理者が作成し、内容を熟知するのはその危機管理者のみという場合が普通です。それでは、マニュアルは機能しませんよね。絶対的な指揮命令系統の下で責任と責務を細かく分割統治する日本的官僚(軍隊)のやり方は、非常事態には対処できないのです。歴史が証明しています。
火事の後、帰宅の際に、廊下が得体のしれない粉で覆われていました。そのときは「なんだろう?」と思っていましたが、それは消火器の中身の粉でした。大量の消火器を発射したので、びっしりと降り積もっていました。廊下を歩くと足跡が残りました。次の日、火元の研究室総出で掃除したそうです。月曜日には、ほとんど片付いていました。
火事の経験は僕を変えた
最初の危機対応マニュアルのくだりは、僕の最初の火事体験に基づく批判です。マニュアル作りをいくらやっても、遊びのような避難訓練をいくらやっても、本物の非常事態では一切が吹っ飛ぶのです。マニュアル作りを一生懸命行っていた同僚には悪いけど、僕はそれを冷ややかに見ていました。最初の職場では、結構ちゃんとした避難訓練をやっていました。建物に備え付けの消火設備を実際に使って、放水したり、期限切れの消火器を実際に発射してたき火を消したりしました。消火器の訓練を駐車場で行ったのですが、消火器の粉が車の上に降り積もってしまい、みんなからは不評でした。次回から消化器の訓練は、水と空気を充てんした模擬消火器で行うようになりました。通勤用の車が汚れるのと消火訓練とどっちが大事と訊かれて、消火訓練と答えられるドライバーはほとんどいないのです。危機対応なんて、非常事態の経験者じゃないかぎり、その程度なんです。
僕はその時初めて、消火器を実際に使いました。火事に際して何もできなかったという思いがあって、かなり真剣に積極的に訓練しました。ほかの人との温度差を感じました。僕は自分の火事の経験をみんなに話をしたのですが、まともに取り合ってくれませんでした。
2回目の火事
ERATOのプロジェクトというのは期限があって、5年で終了です。僕は終了時まで在籍していて、後片付けをやってました。研究室には化学薬品もあって、化学実験担当の研究員が危険な薬品を廃棄処理していました。薬品を廃棄する際は、中和したりして無害化しないといけません。その時は中和ではなかったのですが似たような処理でした。そういう処理では熱が発生するのが普通です。なので、慎重にやっていたつもりだったのですが、反応を制御できなくなり、火柱が上がりました。ちなみに、有機化学系の研究室の火災原因で多いのは、古い冷蔵庫、廃液処理、有機溶媒の蒸留と言われています。
このときの火災は小規模だったので、消火器2本くらいで鎮火したのですが、窓のない実験室だったので、部屋が真っ白けになりました。みんな急いで実験室から脱出しました。あとには、真っ白な煙が充満した部屋が残されました。
窓のない実験室なので、排気装置があるのですが、それは止まっていました。なので、部屋の中に入れなくなりました。白い煙は消火器の中身が一つの原因ですが、廃棄中の薬品からの気体かもしれません。毒性があるかもしれませんし、何かの反応が進んで、酸素が少なくなっているかもしれません。問題は排気装置のスイッチは、実験室の一番奥で、簡単には到達できないということでした。それを動かさないと誰も実験室に入れないので、ジレンマに陥りました。
みんなで、しばらく相談していましたが、僕が突入することにしました。もちろん、突入前に危険性を確認しました。酸素がなかった場合、呼吸を一度でも行うと気絶します。だから呼吸をしないことにしました。息を吐くのもダメ。一発で死ぬほどの有毒ガスの種類は多くありません。廃液処理で発生する可能性があるのは、強酸性のガスですが、これは強い刺激があるので突入時にわかります。シアン系のガスも致死性ですが、これは杏仁豆腐の匂いがします。扉からはそのような匂いはしませんでした。稀に、目からも毒が侵入します。これは完全には防げませんので、滞在時間を短くすることが重要になります。まとめると、呼吸を止めて突入し、刺激がなければ、そのまま呼吸せずにスイッチを押して急いで戻れば、死にはしない、と結論しました。その通り実行して事なきを得ました。実際には、そんなにビビることはなかったと思いますが、今となってはわかりません。そういう念押しも危機対応の大事なポイントです。
酸欠での秒殺の気絶は、安全講習で必ずやるネタです。その他は、いくつか考えられる化学実験で死ぬ可能性の代表例です。これも安全に配慮していれば必ず出くわす知識です。僕はそれらを実際に出会う可能性のある危険としてピックアップしていました。2回目の火事では活躍できました。
危機管理者には、緊急事態の経験者を充てるべき
この2回の火事以降、慌てるような事故には出くわしていません。2回の緊急事態の経験は、日ごろの研究活動における危険性に対して注意を払う理由として十分でした。いつも、起こりうる事故を想定するようになりました。以前、とても重い鉄の扉をクレーンにつるすということをよくやってたのですが、その時の手順が事故を想定して作られていることに感心していました。クレーンシステムのどこかが壊れても、時間が稼げて安全に避難できるようになっているのです。そのためには、荷物をつるす部分がとても重要です。タマガケと呼びます。タマガケは免許制になっています。
非常事態というのは日常的な業務から極端に逸脱した状態を指します。日常業務に習熟していても、危機対応ができないのは当たり前です。日常業務と危機対応とは全く別物なのです。だから、日常業務者に危機対応マニュアルを作成させるのは愚の骨頂です。
福島の事故だって、マニュアルがあるから大丈夫ってなってたんだけど、そのマニュアルが使いこなせなかった面もあるようですし、マニュアルが想定していない事態もたくさん起きました。マニュアルを作って安心するというのは、非常事態の経験がないからだと思います。
危機対応の責任者になるには、非常事態の当事者経験が必須だ、と僕は思っています。特に、大きな組織や危険度が高い施設では、無理をしてでもそういう人に権限を与える方が良いと思っています。非常事態が起きないことは重要です。日常業務をしっかりしていれば、非常事態は起こりにくいでしょう。それでも非常事態は起こります。非常事態というのは想定を超えた事態のことです。想定を超えるのですから、それを想定してマニュアルを作るなんてできません。論理的にちょっとおかしい話なのです。
非常事態を経験すると、「非常事態というのは起こるものだ」「非常事態では慌てるものだ」「非常事態ではマニュアルは役に立たない」といったことを思い知ります。そして、訓練が役に立つことが実際にある、と知っているので、実践的な訓練をしないと意味がない、と考えるようになります。その考え方は、非常事態を経験しないとなかなか実感できないものです。僕も、頭では理解していました。でも、最初の火事で、自分の甘さを思い知りました。あれは僕のトラウマです。
危機管理の責任者は、非常事態の現実を自分の血肉としている人であるべきだと思います。僕は人が死ぬほどの現場には立ち会っていませんが、それは単にラッキーだったからだと思っています。重大な事故では、簡単に人が死ぬのです。人が死ぬという可能性を想定して、危機管理を考えないといけないと思うのです。
うちの大学では、危機管理の一つを担当していた人が、最近退職しました。実験中に事故を起こしたというのがその理由です。危機管理担当者が、事故を起こすというのは極めて由々しき問題ではあります。でも、辞めるのはどうなんだろう、と僕は思っています。
その人は多分、もう一生事故を起こすことはないでしょう。なぜなら、気を付けていても事故が起こりうるということを身をもって知ったからです。気を付けているだけでは、事故は防げないのです。事故を起こさないようにするには、ミスがあっても事故には至らないようにする工夫を何重にもめぐらすしかありません。それでも重大な事故に至る可能性は残ります。最後は被害を小さくする工夫で対処しておくのです。それが危機管理です。
そういう貴重な経験をした人を失うのは、とても大きな損失だと僕は思います。
訓練は危険を伴う
先日、雪山訓練の途中で雪崩が発生し、高校生たちが亡くなりました。様々な論調がありますが、指導していた教員たちの判断ミスを糾弾するパターンが多いようです。でも、ここで述べた危機管理の考え方に基づけば、雪山訓練を行ったという判断ミスは些細な問題だと、僕は思うのです。大前提として、雪崩のような不測の事態は生じるものだ、という前提に立たねばならないと思います。雪崩を完全に予測できるなら、プロの登山家は雪崩に巻き込まれたりしません。ところが、2014年のエベレストでは、多数のベテラン登山家やシェルパ(荷物運び人)が雪崩で大勢亡くなっています。多くのスキーヤーでにぎわうスキー場ですら、定期的に雪崩が生じています。
次の前提として、雪山訓練は、最終的には雪山で行なうことになる、ということです。雪山訓練を行うとした時点で、雪崩の可能性がゼロではない雪山に行くことが決定します。雪山では、雪崩を完全に避けるのは無理です。雪崩の危険性を受け入れるか、雪山訓練をしないかの2択になります。ということなので、雪山訓練を禁止すべきだ、という短絡的な論調が出てきています。
しかしながら、雪山訓練をしなくても、雪山に近づけば雪崩の危険があるという事実があります。ゲレンデで発生した雪崩で毎年数人の死者が出ています。雪崩の危険性があるからスキーやスノボを禁止するというのはさすがにやりすぎでしょう。
そもそも雪山訓練は、雪山での危険性を認識し、対処法を学ぶことが最大の目的だったは
ずです。被害にあった高校生たちを引率した教員たちに欠けていたのは、本来の目的である危機対応訓練を忘れて、ハイキングだと勘違いしたことにあると僕は思います。
「安全だと思った」という教員たちの意見に異論はありません。当時の状況は現場にいた人にしか判断できませんから、外野がとやかく言得るものではないのです。しかしながら、安全だという意見を受け入れたとしても、事故を想定しなくてよいとか、危機対応の機材を用意しなくてよいとかにはなりません。安全だと思っても起こるかもしれないのが事故なのです。
高校生たちが訓練していたラッセルというのは、そのまま歩くと危険を伴う新雪の上を、安全に走破するためのある種の避難グッズ・技術です。すなわち、ラッセルの訓練というのは、危機対応のための訓練だったはずなのです。ところが、危機対応の意識がうすれ、新雪の上を歩くことを目的にしてしまったために、救助用ビーコンなどを装備しなかったのだと思われます。
雪山訓練というのは、雪山の危険性を認識し、それに対する備えと対応を周知するものであったはずなので、実際に雪崩事故に巻き込まれた場合に、訓練の成果によって安全に生還するべきだったし、生還するための訓練だったはずです。つまり、雪崩事故に遭うのは、そのための訓練なんだからある程度は仕方がないということです。もちろんわざと雪崩に遭いに行くわけではありませんそして、運悪く雪崩に遭った場合には、訓練の成果が生きなければなりませんでした。高校生が死亡したことは、とても悲しいことです。でも、雪山訓練であれば、訓練に伴う危険性は承知の上だったはずです。そもそも雪崩の確率は元々低いもので、訓練を中断すべきほどの悪い気象条件ではなかったかもしれません。だから、訓練決行の判断はミスとは言い切れません。ただ、死亡者の数が多かった理由として、対策や訓練がきちんとしていなかったのだと思います。漏れ聞こえてくる教員たちの言葉はこれを裏付けているように思います。この点において、教員たちには決定的に罪があります。
言い換えると、危機管理者が、危機対応訓練なのに危険性をちゃんと認識していなかったという点がとても問題だと指摘したいわけです。くだんの雪山訓練事故の場合は、死亡者も出て糾弾されていますが、同じ構図は我々が普段行っている避難訓練にもぴったり当てはまります。消火訓練では実際に火を起こして、それを消すということをやったりします。その火が風にあおられて近隣の建物に燃え移り火災に至るということは、あり得ないことではありません。消防署の指導下で訓練する際は、風が強い時は中止になるし、火をつけるときは、防火用の水をたっぷり用意するか、事前に放水訓練して消防ホースを準備しておくかしていますよ。危機管理者は様々な危険性を常に意識していなければなりませんし、前もって対策するのが当たり前です。特に、危機対応訓練では、最悪の事態を仮定して、装備点検も兼ねて現有装備を総動員するのが常識です。救助用ビーコンとか、必要ないと思っても装備するのが訓練の目的の一つでもあります。
でもそういうことは、非常事態の経験がないと、なかなか難しいと、僕は確信しています。実際、火事に出会う前と後では、危険性に対する僕の意識が全く違っているからです。危険を完全に避けることはできないので、対策を万全にするというのは、言葉では簡単ですが実戦するのは難しいのです。特に、対策というのは機材を用意するハード面のだけではだめで、機材の定期的な動作チェック、使い方への習熟など、ソフト面での用意も万全にしなければなりません。でもみんな、避難訓練って面倒くさいって思ってるでしょ!その結果が、くだんの雪山事故だと思うのです。
危機対応訓練の最中に運悪く発生した実際の危機において、訓練の成果が生かせなかったというのが最悪なのです。何ための訓練で、いつ訓練の成果を活用するつもりだったのでしょう。実際のところは、危機対応訓練だなんて思ってなかったんでしょ。それは指導者として失格だよね。
苦言
最後に苦言。日本では避難訓練時に、「本業が忙しければ参加しなくてよい」とかいうルールがあり、また訓練開始時刻が完全に予告されているのが普通です。また、訓練内容も予め告知されます。これらは、避難訓練を無意味にするものだと思います。米国のシンポジウムに参加した時、主催者が「今日は避難訓練が予定されています。開始時刻はわかりませんが、アナウンスがあったら非難しなければなりません」と告げたことがありました。我々は、かなりの出張費をかけてシンポジウムに参加しているし、我々と議論する機会は現地の人たちにとっても貴重なので、シンポジウムを中断するのはかなりの損害を伴います。しかしながら、避難訓練に例外は認められないということでした。実際、その日の午後に、アナウンスがあり、僕たちはシンポジウムを中断して、建物の外に出ました。ついでに集合写真を撮りましたけどね!
米国では、避難訓練を割とまともに行うようです。時間だけでなく、訓練日も定まってない場合もあるそうです。そして、例外なく全員参加です。事故は場所やタイミングを選んでくれません。どんなタイミングでも、安全に避難できるように意識することがとても大事なのです。どれだけ重要な実験の最中であろうと、避難しなければならないことがあり得ます。ある場合には、ほっぽり出して非難すると大惨事になることもあるでしょう。その場合には、適切な対処をすることになります。その対処をすることも訓練の一つになります。そのような対処は、個々の仕事で違ってきます。だから、危機対応マニュアルなんか用意していられません。訓練の際、みんなヤレヤレという雰囲気でしたが、それでも良いのです。そういう感じで避難出来たら、避難時の事故は起こりませんからね!
日本では、避難訓練を軽んじすぎています。その理由の一つに、危機管理者が非常事態を未経験だからかもしれません。米国では退役軍人が社会に多くいます。米国の軍隊は実際に戦争をするので、極めて実践的で、非常事態が身近にあります。町中でも、ときどき銃撃戦があるみたいだし。だから、非常事態に対する考え方が日本よりマトモなんだと思います。阪神大震災後、世の中は少し変わったと思いたかったのですが、ダメでした。東北震災では少し意識が高まった気がしました。
京都市では、シェイクアウト訓練というのが2013年くらいから始まりました。最初は、時間が決まってませんでした。しかし、今では時間ぴったりにケータイにメールが届きます。しかも、届くだけ。なにも起きません。完全に形骸化しています。せめて、市営地下鉄や市営バスを停止するくらいしないといけません。非常時の連絡体制の確認、機材の機能チェック、さらに運転員が非常事態に対応できるかどうかを確認する、こうしたことは、乗客の命に関わるとても大事なことです。さらに、運転員の乗客に対する適切な説明や避難誘導は、乗客の訓練にもなります。乗客の利便性に優先すべきことです。東北があってもダメでした。
2016年には熊本地震がありましたが、2017年のシェイクアウトはいつの間にか終わってました。土曜日だったからかもしれませんが、地震は土日が休みなんてのは聞いたことがありません。何人死ねば理解できるのでしょう?