記法
高校では、数学や物理の記法は完全に統一されていて、ベクトルだったら、$\overrightarrow{a}$という感じで、文字の上に矢印を書くと教わる。でも、大学の物理の教科書では、$\bm{a}$のように太字&イタリックで書くことが多い。どっちが正しいかというと、統一さえしておけばどっちを使ってもよい、とされている。ほかの表記法を好む人も多い。最近は、学校教育で$\overrightarrow{a}$を使う国が多いので、$\overrightarrow{a}$が増えてきた。でも、がっつり系の専門書は依然として$\bm{a}$が大半だ。僕は最近多次元を取り扱うことが多いので、$a_i$のように添え字を使うことが多くなっている。
数学では、このような記法の問題はしばしば問題になる。だから、数学の論文では最初に記法の説明がまとめられていることも多い。統一したら良さそうなものだが、次から次へと新しい記法が編み出されるので、統一しようにも話し合いが追いつかないという事情がある。
数学がこんな感じだから、数学をツールとして利用する物理の世界にも多くの混乱がある。しかしながら、物理の世界では、もっと保守的だ。
物理学者が発明した記法の典型例として、Diracのブラケットが挙げられる。$\langle a|$とか、$|b \rangle$、さらにこれらの内積を$\langle a | b \rangle$と書く。$\langle a|$や$|b \rangle$は、波動関数に対応するベクトルなんだけど、$\overrightarrow{a}$ではなくて、しかも2種類ある。2種類は厳密に区別されるので、$\overrightarrow{a}$のような記法より優れているかもしれない。
アインシュタインは、別の記法として、$a^i$や$b_i$を発明した。有名なアインシュタイン規約である。より高い次元の複雑な計算を間違わないように進めるために、編み出された記法だ。
物理におけるこれらの記法は、発明者の名を冠して尊重され、特別な理由がない限り発明者の定義通りに解釈される。その点は数学の世界より混乱は少ない。
流派
数学に比べると幾分マシだけど、物理にも混乱っぽいものが存在する。有名なのは、流体力学におけるオイラー的記述法とラグランジュ的記述法だ。同じ流体力学なんだけど、両者は座標系の取り方が違っている。どちらが優れているというわけでもないし、原理的には両者は同じ結論になるので、両論併記というのが普通になっている。でも、学習する側からすると、面倒くさいことこの上ない。僕は学生の時、X線散乱・回折の勉強をみっちり行った。4回生の時と修士の時で研究室が違っていて、4回生の時は散乱、修士の時は回折の研究室だった。散乱と回折というのは本質的に同じ現象で、測定対象が結晶だと回折、それ以外だと散乱と呼ぶ。そこで気づいたのが、2つの研究室で用いる式がちょっとずつ違う、ということだった。ポスドクの研究室も散乱だったのだけど、そこでの式もちょっと違っていた。ポスドク時のボスは、オーストリーのKratkyスクール、フランスのLaueスクールという呼び方をしていて、その時、学問にも流派があるんだって、知った。
Kratky流とLaue流というのは、まさしくドイツ・オーストリーの質実剛健さと、フランスの優雅さの違いだ。それはフーリエ変換の定義に如実に表れている。
Kratky: $F(X)=\int f(x) e^{-2 \pi i xX} dx$ / $f(x)=\int F(X) e^{2 \pi i xX} dX$
Laue: $F(q)= \int f(x) e^{- i q x} dx$ / $f(x)=\frac{1}{2 \pi} \int F(q) e^{ i q x} dq$
前者は小さい文字で$ 2 \pi$というキーワードが現れているけど、後者にはそれがない。式的には後者の方が洗練されているように見える。しかしながら、ブラッグの反射条件を念頭にすると、実は前者の方が優れている。式としての美しさを優先するか、実用性を優先するかという、ほとんど宗教戦争になっている。
僕は、4回生の時にLaue流、修士の時にKratky流を学んだ。ポスドクの時は、両者の折衷であるロシア流というのだった。面白いね。
実はフーリエ変換の定義には、3つのスタイルがあり、そのうち2つはKratky流とLaue流に対応している最後の1つは、
Unitary: $F(q)=\frac{1}{\sqrt{2 \pi}} \int f(x) e^{- i q x} dx$ / $f(x)=\frac{1}{\sqrt{2 \pi}} \int F(q) e^{ i q x} dq$
というもので、こうすると、逆変換が順変換と全く同じ形になるという利便性がある。フーリエ変換にはこれら3つの流派が混在しており、どの教科書で学ぶかで、式が少しずつ違ってくる。
レオロジー
あんまりメジャーじゃないんだけど、僕の専門分野の一つにレオロジーというのがある。実は、僕は学生時代にはレオロジーが苦手で、さっぱりわからなかった。僕はどうもあきらめの悪い性分らしく、何年もかけて、じっくり勉強し、なんとか人並みには理解できるようになった。
僕は高分子物理の出身なので、レオロジーも高分子の流儀に従い、勉強したわけだけど、どうもいまいち納得がいかない状態だった。得心がいったのは、「線形応答理論」というキーワードを聞いた時!だった。線形応答理論というのは信号処理なんかで活躍する数学の一分野で、高分子物理からは縁遠い。僕はソフトウェアが得意なので、線形応答理論も一通りり知っていた。でも、レオロジーと線形応答理論の接点には気づいてなかった。
レオロジーでは、複素弾性率の周波数応答$G^* (\omega)$が物性の基本となっている。一方、線形応答理論ではインパルス応答関数$h(t)$が系の特徴を決定する。なんだか違う感じだけど、驚くことに両者は全く同じになる。
インパルス応答関数というのは、入力関数$f(t)$に対して、応答が$h(t) \otimes f(t)$になるときの$h(t)$のこと。応答関数をフーリエ変換すると、$H(\omega) \cdot F(\omega)$になる。$f(t)$がデルタ関数の時は、$F(\omega)=1$なので、$H(\omega)$が得られる。もし、$f(t)$が$sine$や$cosine$のときは、$F(\omega)$はデルタ関数(の和)になり、$H(\omega)$の特定の$\omega$の情報が得られる。それはすなわち、レオロジーで言うところの$G^*(\omega)$そのもの!
レオロジーにおけるひずみと応力は微小変形の範囲では、互いに線形応答の関係にあるので、数学的必然として線形応答理論に従うわけだけど、見た目が少し違うので、僕は気づかなかった。レオロジーの標準的な学習は、線形応答理論の標準的な学習の流儀とはちょっと違っているというのがその理由の一つ。先にこういうことがわかっていると、僕はレオロジーの勉強に躓かずにすんだかもしれないなぁ、と思いつつ。でもあっさり通過していたら、深い理解に到達しなかったかもしれないとも思う。
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