ある日突然、先生が挨拶してくれるようになった
あれは忘れもしない。高校3年生の6月だった。僕の通っていた高校は地元では有数の進学校で、前の週にはとても難易度の高い実力テストが実施された。採点結果がぼちぼち返ってきた。僕の得点は高くなかったが、級友たちの得点は輪をかけて悪かった。そのテストは、国の指導要領改訂を無視して、何年も同じような問題を使うことで、年度ごとの生徒全体の力量を定点観測する特別なもので、まだ習っていない事柄も容赦なく出題されていた。
その日の朝、厳しくて評判の社会の先生とすれ違った時、「おはよう、最近頑張っている西川君!」と勢いよくあいさつされた。その先生が僕の名前を憶えていたことに驚き、へんてこな挨拶に違和感を感じた。
へんてこな挨拶の理由については心当たりがった。先週のテストの僕の得点はちょっと悪かったくらいだったのだが、級友たちの得点は、目も当てられないほどひどかった。100点満点で平均点が30点に届かない科目もあった。僕の得点はいつもの定期テストよりすこし低いくらいだったので、相対的に僕は高得点ということになる。
僕の高校では、昔ながらにテストの席次が張り出される。それまでの僕は最高30位くらいだったのだけど、後日発表された席次は、2位か3位だったように思う。理系科目に絞れば、ダントツにトップだった。大躍進ということで、目立ったのだろう。社会の先生の大袈裟な挨拶は、こういう理由だった。あまりに態度が豹変したので、僕は気持ち悪くなった。
物理の時間はもっとひどかった
物理に関しては、単独のテストでは生涯最高の偏差値100を達成した。その結果、物理の時間、僕は特別待遇になった。先生の代わりに授業しろ、くらいの信頼を得た。物理の先生は新任のとても若い先生だったんだけど、ちょっと怒られたんじゃないかな。というのも、物理の平均点はきわめて低く、20点くらいだったからだ。指導不足と言われても仕方がない点数だ。でも、その先生のせいじゃないんだけどね。その後、僕は先生を超える扱いをされるようになった。正直言おう。僕は物理の授業に関しては、「できる生徒」では全然なかった。試験前にちょっと復習して、ようやく意味が分かる、という程度で、予習もしないので、授業内容もよくわかっていなかった。でも、僕は、物理の授業では特別扱いになった。吐きそうだった。物理の先生は好きだったけど、物理の時間は嫌いになった。
進学校のいびつさ
進学校では、大学合格実績がすべてだ。現場の先生にはそのプレッシャーが直接のしかかる。テスト範囲を限定しない実力テストは大学入試の形式に近いので、大学合格実績に直結する。定期テストでは平凡なのに、実力テストで突出した成績を収めるタイプの生徒は、学校にとっては思いがけないプレゼントみたいなものだろう。たった1回のテストの結果で、先生が手のひらを反す、というのが進学校の現実だ。僕の場合は極端だったけど、すべての進学校で同じようなことが今も起こっている。というか、今の方がもっとひどいかもしれない。
こんなことを書こうと思った理由
この思い出に通じる事件が、とりあえずの区切りを迎えた。名古屋大学の学生の事件だ。彼女は高校時代から怪しい言動があったそうだが、周りは黙殺した。僕の経験からすると、進学校において、急に成績が伸びた生徒というのは特別待遇なので、少々の異常な言動には目をつぶるのだ。それが学校で起こったのは、想像に難くない。不幸だったのは、家庭でも起こったらしいことだ。すでに病みはじめていた精神は、さらに病み、歯止めを失い、そして暴走した。彼女と彼女の周囲では、勉強ができることが絶対的な価値だったのだろう。彼女の異常さは、そんな環境の中ではぐくまれたのだろう。幸か不幸か、彼女は名古屋大学に進学した。名古屋大学レベルの大学では、単に勉強ができるというのは、大した価値と認められない。むしろ、勉強の価値を否定したうえで、多様な価値をはぐくむのが大学だ。大学2年生というは、勉強以外の価値観に対するプレッシャーが最も高まる時期だ。彼女がそのタイミングで、一線を越えたのは完全に説明がつく。彼女にとって勉強以外の唯一の特別な価値観、人を殺すこと、に彼女はしがみついたのだろう。
平凡な学生は、価値観云々なんて想像すらせず、目の前のレールに乗って、何も考えず社会の歯車になる。彼女は、とても頭が良く、賢いのだろう。本来の大学は、彼女のような規格外の人材を多様性として学術の世界に取り込んでゆく装置だ。それが機能しなかったということは、大学人として残念だ。
彼女のようになった可能性は僕にもあっただろうか?高校3年のとき、僕は単一の価値観に基づいた組織(社会)の危うさを感じた。僕はそれを拒絶した。彼女なら、それを嬉々として受け入れ、最大限利用したろう。僕が思うに、そこがPoint of No Returnだった。
0 件のコメント:
コメントを投稿